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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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39/59

こちらから

西暦××××年××月××日 ダーウィン基地 言語解析室 午前6時


AIの解析が夜中に一つ結果を出していた。


「両手を組み合わせる動作」の分析だ。昨日の面会で捕虜が出した動作。「交換」の絵と「本」の絵に対して、二度繰り返した動作。


AIは音声記録と照合して、この動作が出たタイミングと、その直前に捕虜が出した音節の関係を分析していた。


結果:動作が出る直前に、問いの形態素と同じ語族の音節が来ている。二回とも同じパターンだ。


「動作が問いと対応している」


十六夜はノートに書いた。


「交換」や「合意」という絵を見たとき、捕虜はまず問いに関連する音を出し、それから両手を組み合わせる動作をした。問いかけながら、その動作を加えた。


つまり、両手を組み合わせる動作は「合意そのもの」を示しているのではなく、「合意について問いかけている」ことを示している可能性がある。


向こうは合意を求めているのではなく、合意するかどうかを問いかけている。


その違いは大きい。


求めているなら、こちらが応じるかどうかを決めればいい。問いかけているなら、こちらも問い返す余地がある。


問い返す余地がある、ということは、交渉の余地がある、ということだ。向こうが「合意しろ」と命じているのではなく、「合意するか」と問いかけているなら、こちらが「条件次第で」と返す可能性がある。条件を出せれば、交渉になる。


交渉になれば、言語が通じなくても前に進める。言語が通じる前に、合意という概念が共有できていれば、言語が通じた段階で一気に詳細を詰められる。


今日の面会の目的が、ここで少し変わった。合意という概念を確認するだけでなく、「こちらも問い返せる」という意思を示す。それが今日の面会に加わった。


────


面会の準備をしながら、今日の方針を整理した。


一、両手を組み合わせる動作を、こちらから出す。捕虜がどう反応するかを見る。


二、地図の絵と艦隊を示す絵を組み合わせる。昨日「地図に方向の動作が来た」ことを踏まえ、北西という方向と複数の船の絵を組み合わせた絵を試す。


三、捕虜が今日も先に音を出すかどうかを確認する。ここ数日で、向こうが先に出してくる頻度が上がっている。


赤城が来た。今日もコーヒーを二つ持ってきた。


「今日の方針は」


「三点あります」十六夜はホワイトボードの前に立った。「一、両手を組み合わせる動作をこちらから出す。動作が通じるかどうかを確認します。二、地図と艦隊を組み合わせた絵を試す。三、捕虜が自発的に情報を出してくるかどうかを見る。ここ数日で向こうの積極性が上がっています」


「AIの夜の解析は」


「両手を組み合わせる動作が、問いと対応している可能性が出ました。合意を求めているのではなく、合意するかどうかを問いかけている可能性があります」


赤城は少し間を置いた。「問いかけているとすれば、こちらも答えを出す必要があるな」


「はい。ただし答えを出すのは官邸です。今日の面会では、問いかけているということを確認するところまでです」


「捕虜の状態は今日も安定しているか」


「医療チームの確認では問題ありません。昨日より食欲が落ちているという報告がありましたが、健康上の問題ではないとのことです。急いでいる意識が先に来ているのかもしれません」


「了解だ。やれ」


────


同日 午前10時 官邸地下 危機管理センター


「今朝の解析結果です」


藤堂が報告した。「昨日の両手を組み合わせる動作が、問いかけと対応している可能性が出ました。合意を求めているのではなく、合意するかどうかを問いかけている可能性があります」


「問いかけているとすれば」黒崎が言った。


「こちらが答えを出す必要があります。ただし今日の面会で確認が取れてからです」


相馬が言った。「答えを出す、ということは、方針を決める、ということだ。合意するかどうか。合意するとすれば、何について合意するか。今日の面会の結果次第で、この問いが具体的になります」


「防衛省の見解は」吾妻が言った。「向こうが合意を求めているとすれば、今の段階では軍事的な脅威は低いと見ます。ただし合意が成立しない場合、北西の艦隊がどう動くかは予測できません。合意が崩れることへの備えも必要です」


「備えとは」


「艦隊の監視を継続します。接近した場合の対応手順を整理します。ただし現時点では、待つ方針を維持します。合意の交渉が進んでいる間は、動かない」


「了解だ」黒崎は言った。「今日の面会の結果を待つ。結果が来次第、報告しろ」


「急ぐな。だが止まるな」


────


同日 午後 ダーウィン基地 隔離区画 面会室


今日も捕虜が先に音を出した。


面会室に入った直後だ。十六夜が椅子に座った瞬間に、最初の音が来た。


三日続いて、向こうが先に口を開いている。


十六夜は同じ音を返した。手順の確認が終わった。


それから、今日の試みに入った。


両手を、胸の前で組み合わせた。


音は出さない。動作だけだ。


捕虜は見た。


一拍。


それから、捕虜は同じ動作をした。両手を胸の前で組み合わせた。昨日とまったく同じ動作だ。


「……ミラーリングです」記録者が言った。


だが、今日は昨日と違う点があった。


捕虜は動作をした後に、音を出した。


その音は、昨日「交換」と「本」の絵に反応したときと同じ音節で始まっていた。問いの形態素と同じ語族の音だ。


「問いかけの音が来ました」記録者が言った。


動作を返して、問いかけの音を加えた。


「こちらが動作を出したことに対して、問いかけで返してきた」十六夜は頭の中で整理した。「合意するかどうかを、向こうから問い返してきた可能性があります」


十六夜は今度も動作だけを返した。音を出さずに、もう一度両手を胸の前で組み合わせた。


捕虜は見た。少し間を置いた。それから、同じ動作をした。今度は音がなかった。


動作だけのやり取りが成立した。音のない会話だ。だが確かに、意味のあるやり取りだ。合意という概念を、音なしで確認し合った。


「音なしで通じました」記録者が小声で言った。


音なしで通じる、ということは、この動作が言語から独立して機能しているということだ。音節という言語的な符号ではなく、動作そのものが意味を持っている。そういう表現体系を持っている。


────


続けて、地図の絵を出した。


昨日と同じ反応が来た。方向の動作が加わる。


今日は、その地図に矢印を書き加えたものを追加で出した。北西の方向を指す矢印だ。


捕虜は見た。


長い反応が来た。昨日の地図への反応より長い。音節が多い。動作も複数加わった。方向に目線を向ける動作と、自分を指さす動作が重なった。


「……方向と自分が同時に出ました」記録者が言った。


「この方向に自分がいる」という意味か。「この方向から来た」という意味か。あるいは、「この方向について知っている」という意味か。


どれとも取れる。だが、北西という方向に対して、自分との関連を示した。


その関連が何かは、まだ分からない。


ただ、地図と方向と自分が同時に出てきたことは記録した。昨日「地図には方向の動作が来た」という段階から、今日「地図と北西と自分」という段階に進んだ。一日で情報量が増えた。AIの投入による速度の効果が出ている。


十六夜は次の絵を取り出しながら、今日の面会全体の流れを頭に入れていた。動作が通じた。地図と自分が結びついた。そして捕虜は急いでいる。三つが今日の面会で積み重なっている。


────


面会の後半で、捕虜が自発的に動いた。


これまでの面会では、こちらが絵や音を出して、捕虜が反応するというやり取りが基本だった。今日、捕虜がその流れを破った。


十六夜が次の絵を取り出す前に、捕虜が音を出した。


これまでに出てきたことのない、長い音節の組み合わせだ。


音だけではない。両手を組み合わせる動作と、北西の方向に目線を向ける動作が同時に来た。


三重の複合表現だ。


「三重です」記録者が緊張した声で言った。


音節の解析は今夜AIで行う。だが今この瞬間、十六夜には一つのことが分かった。


捕虜が自分から言い始めた。


こちらが聞く前に。絵を出す前に。捕虜が先に、複合表現を使って何かを伝えようとした。


これまでの面会で、捕虜が自発的に情報を出したことは何度かあった。だが今日の複合表現は規模が違う。三要素が同時に組み合わさっている。


「北西と合意に関連する何かを、捕虜が自分から言ってきた」


十六夜は頭の中で言葉にした。


向こうは急いでいるかもしれない。


十六夜はその場で動かずに、捕虜を見た。


捕虜も十六夜を見ていた。


複合表現を出した後、捕虜は次の言葉を出さなかった。出した。それで終わりにした。反応を待っている目だ。これまでも何度か見た目だが、今日の目はその中で一番、何かを待っている目に見えた。


答えを待っている。


十六夜は、両手を胸の前で組み合わせる動作をした。「受け取った」という意思表示として。完全に通じているかどうかは分からない。だが、向こうが言ったことを、こちらが受け取ったということだけは示した。


捕虜の表情が、わずかに変わった。表情の読み方はまだ不確かだ。だが、何かが伝わった可能性がある。


「了解です」十六夜は日本語で言った。通じない。だが言った。


面会が終わった後、廊下に出た。


赤城が待っていた。今日は別室ではなく廊下に来ていた。


「見ていたか」十六夜は言った。


「見ていた」赤城は言った。「捕虜が自分から言い始めた。あれは何だ」


「今夜解析します。ただし」


「ただし」


「今日の動きで一つ分かったことがあります。捕虜は急いでいます」


「急いでいる」


「三日で急速に積極的になっています。最初は慎重に手順を確認していた。今日は自分から複合表現を出してきた。何かの期限がある可能性があります。あるいは、向こうで何かが変わった可能性があります」


「北西の艦隊の速度が上がっている」


「その可能性があります。艦隊が近づいているから、捕虜が急いでいる。接触の時間が限られていることを、捕虜が知っている」


「捕虜は艦隊の動きを把握しているということか」


「同期信号の仕組みを持っている文明です。捕虜が艦隊の位置を把握できる手段を持っている可能性があります。あるいは、出発前に艦隊の到着予定を知っていた」


「出発前から期限を知っていた」


「計算に入れて捕まったという話がありました。捕まってから、その期限の中で通信路を作り、問いを伝える。今日の動きは、その計画の最終段階かもしれません」


赤城は少し間を置いた。「官邸に上げるか」


「上げます。ただし言葉は慎重に」


「どう言う」


「"捕虜が自発的に三重の複合表現を出してきた。急いでいる可能性がある。北西の艦隊との関連を排除できない"。それだけです」


────


同日 官邸地下 夕方


「今日の面会の結果です」


藤堂が報告した。「こちらが両手を組み合わせる動作を出したところ、捕虜が同じ動作を返した後に問いかけの音節を出しました。合意するかどうかを問い返してきた可能性があります。また、北西方向を指した地図に対して、自分と方向を結びつける反応が来ました。さらに、面会の後半で捕虜が自発的に三重の複合表現を出してきました」


「自発的に」黒崎が言った。


「はい。こちらが何かを出す前に、捕虜の側から複合表現が来ました。内容の解析は今夜進めます」


「急いでいるという判断は」


「可能性として。三日間で急速に積極的になっています。期限があるか、向こうで何かが変わった可能性があります」


「北西の艦隊との関連は」


「排除できません。今日の衛星データを確認しています。速度の変化を今夜中に報告します」


吾妻が言った。「捕虜が急いでいるとすれば、艦隊の到着より前に何らかの合意を成立させようとしている可能性があります。艦隊が来る前に決着をつけたい、という動きに見えます」


「それはどういう意味だ」黒崎が聞いた。


「艦隊の到着が、状況を変えることを捕虜が知っている、ということです。合意がない状態で艦隊が来れば、交渉ではなく別の展開になる可能性があります。捕虜はそれを避けたいのかもしれません」


「艦隊が来たら状況が変わる。捕虜はそれを知っている」


「はい。捕虜が艦隊の動きを把握できる手段を持っているか、出発前から艦隊の到着予定を知っていた可能性があります。計算に入れて捕まったという経緯と整合します」


大塚誠が口を開いた。「艦隊が来ることで状況が変わる、ということは、艦隊には捕虜とは別の判断権を持つ者がいる可能性があります。捕虜が交渉担当で、艦隊には軍事担当がいる。合意がなければ軍事担当が動く、という構造かもしれません」


「つまり、捕虜もこちらと合意したいと思っている」


「可能性として。ただし断定できません」


白瀬が言った。「今夜の解析結果を待って明日判断します。ただし一点確認です。向こうから合意するかどうかを問われたとすれば、こちらが答えを出すことが必要になります。何について合意するかがまだ分かっていませんが、答える方向を今夜中に検討しておく必要があります」


「検討しろ」黒崎は言った。「結論は出さなくていい。方向だけ考えておけ」


「了解です」


「急ぐな。だが止まるな」


────


同日 夜 ダーウィン 十六夜さくら


AIが捕虜の自発的な複合表現を解析していた。


三要素に分解できた。


一番目:問いかける語根を持つ音節群。これまで何度も確認してきた語族だ。


二番目:昨日の「交換」と「本」の絵に対して来た動作と同じ、両手を組み合わせる動作。


三番目:北西の方向に目線を向ける動作。


問いかける。合意の動作。北西の方向。


三つが同時に出てきた。


「北西について合意するかどうかを問いかけている」


十六夜はノートに書いた。


北西。


北西の艦隊のことを問いかけているのか。北西の艦隊についてこちらが何かをするかどうかを問いかけているのか。


あるいは、北西の艦隊との関係において、こちらと合意したいのか。


捕虜が出した問いかけが、北西と合意という二つの概念を組み合わせている。


この組み合わせが意味することは一つしかない。


「北西の艦隊のことを、こちらに伝えようとしている」


あるいは、「北西の艦隊について、こちらに合意を求めている」。


向こうが急いでいる理由が、少し見えてきた。


明日の面会で、何を確認するべきかも見えてきた。


「北西の艦隊について合意するかどうか」を問われているなら、こちらが何を合意するのかを確認する必要がある。艦隊を通過させることか。艦隊と交渉することか。艦隊に対して何もしないことか。


合意の中身が分からなければ、応じるかどうかを決められない。明日の面会で、合意の中身に近づく必要がある。


十六夜はノートに書いた。「明日:北西の艦隊と合意の組み合わせを細分化する。艦隊の絵。通過を示す絵。止まる絵。それぞれへの反応を見る」。


今夜はここまで。明日の準備をして眠る。


捕虜は艦隊の到着前に、こちらとの合意を成立させようとしている。合意が成立していれば、艦隊が来たとき状況が違う。合意がなければ、艦隊が来たとき何が起きるか分からない。


捕虜が何のために急いでいるかが分かった。向こうの艦隊が来ることで状況が悪化することを防ぐために、急いでいる。


それは、捕虜がこちらを敵だと思っていないということでもある。少なくとも、合意が成立する可能性があると判断している。判断しているから、急いで進めようとしている。


「面白いですね」


誰もいない部屋で言った。


捕虜が急いでいる理由が分かった。分かれば、次が見える。


────


同日 深夜 官邸廊下


白瀬はメモ帳を出した。


「艦隊と合意」


今夜の言葉を書いた。


これまでの言葉が並んでいる。「確認できない」「理由がない」「前提」「確認できた」「話す」「地図」「見えた」「聞こえている」「届いた」「同じ問い」「答えの形」「北西」「速度」「取り決め」。


そして今夜。「艦隊と合意」。


捕虜が急いでいる。北西の艦隊と、合意という概念が同時に出てきた。


二つが結びついているとすれば、捕虜はこちらに北西の艦隊についての合意を求めている可能性がある。


艦隊が来る前に合意したい。それが捕虜の動きから読める可能性だ。


だとすれば、こちらが合意するかどうかを決める時間は、艦隊が来るまでの時間と同じだ。


艦隊がいつ来るかは、まだ分からない。


だが、それほど長くないかもしれない。


時間が限られているとすれば、やることが変わる。これまでは一歩ずつ確認しながら進んできた。急かさない。飛ばさない。それがあの朝からの方針だった。


その方針を変える必要はない。ただ、一歩の密度が変わる。一日で確認できることを、最大限確認する。無駄を省く。余裕を持たない。


白瀬はメモ帳を閉じた。


廊下の蛍光灯がいつも通りに唸っていた。あの朝からずっと、そうだった。


その音の下で、今夜も時間が動いている。


そしてどこか北西で、艦隊が動いている。

自発的発話 会話において、相手の問いかけや働きかけに対する反応としてではなく、自分から先に情報を提供すること。言語習得においては、自発的発話が始まると習得の段階が進んだと見なす。今回の捕虜の自発的な複合表現は、こちらとのやり取りが単純な応答から能動的な情報発信へと移行したことを示している。


三重の複合表現 音節・動作・目線の三要素が同時に組み合わさった表現。これまでの面会で最も複雑な表現だ。複数の要素が同時に使われるほど、伝えようとしている内容の情報量が多く、かつ重要度が高い可能性がある。


期限の推定 捕虜の積極性が急速に高まっている原因として、何らかの期限が存在する可能性がある。期限とは、艦隊の到着、本国からの指示、あるいは捕虜自身の状態変化など、複数の要因が考えられる。いずれにしても、この期限内に合意を成立させようとしている動きと解釈できる。


合意の相手の確定 外交における合意は、相手が誰かを確定することから始まる。捕虜が個人として合意できるのか、艦隊の代表として合意できるのか、国家の代表として合意できるのかが不明な段階では、合意の内容より先に、合意の相手を確定する必要がある。片言の会話が成立してからの重要な確認事項だ。


北西という方向の意味 この物語において、北西は複数の意味を持つ方向だ。帆船が来た方向。艦隊がいる方向。捕虜が自分の出所として示した方向。今日の複合表現でこの方向が使われたことで、北西が捕虜の問いかけの核心に位置していることが確認された。

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