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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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まだ名のないもの


西暦××××年××月××日 海上 外縁方向


海底に、三秒の鼓動があった。


三秒。三秒。三秒。


一定。揺らぎがない。自然の偶然にしては、整いすぎている。まるで、誰かが正確に刻んでいるかのように。機械式の時計のように。あるいは、待機状態の心臓のように。


止まらず、焦らず、ただ次の段階を待っている。


────


「しょうなん」艦橋


「振動源、深度推定」「計算中」


複数のセンサー値が重ねられる。音響。磁気。圧力変化。微細な水流偏差。水温の局所変動。三点測量。補正値を加え、再計算。


「推定深度、海底直上五メートル」


海底「直上」。


埋没していない。露出している。沈んでいるのではない。


「置かれている」。


その言葉が、艦橋の誰の口からも出ないまま、全員の思考を占める。


「固定か?」「位置変化なし」


動いていない。だが、振動している。まるで「そこに設置されたもの」のように。自然に転がり落ちた岩ではない。漂着物でもない。偶然の残骸でもない。


配置された何か。


「記録しています」測量士が言った。「波形はすべて保存しています」


「続けろ。変化があれば即座に報告しろ」


────


「あさひ」艦橋


「不明接触、十九海里」「速度維持」「針路、不定」


点は、接近とも離脱とも言い切れない動き。偶然の航路とも言える。だが、偶然が続きすぎている。


一定の距離を保ち、一定の速度を維持し、一定の角度で揺れる。監視圏の縁をなぞるような動き。


「電波放射兆候は?」「確認できず」


完全な沈黙。能動的な照射はない。発信もない。だが、沈黙そのものが意図のように見える。受動監視のみ。まだこちらからは照らさない。見ているだけだ。


だが「見られている可能性」は否定できない。


「帆船の可能性はあるか」川上が聞く。


「あります。反射の大きさと速度から、帆走する木造船の可能性があります。ただし断定できません」


「了解。記録を続けろ」


────


海底の振動が、一瞬だけ止まった。


艦橋の全員が息を止める。


静寂。完全な無音。


三秒後、再開。だが、わずかに速い。


二・八秒。二・八秒。二・八秒。


「周期短縮」「確認」


それは明らかな変化だった。偶然ではない。自律的な変化。


海底の「何か」は、状態を変えた。待機から、次の段階へ。


「これは意図的な変化ですか」測量士が聞いた。


「断定できない。だが、自然現象が自律的に周期を変えることは少ない」


「記録します」


「すべて記録しろ。波形も、時刻も、変化前後のデータも全部だ」


────


同日 官邸地下


「周期短縮」


空気が変わる。


「これは偶然か」「断定できません」


だが、偶然の幅を超え始めている。


判断の猶予が、縮んでいく。


黒崎は、しばらく沈黙した。「仮に人工物だった場合、性質は」「不明です」


率直な返答。機雷か。観測装置か。通信中継か。あるいは、この惑星に元から存在していた別の文明の何かか。まだ、名前は与えられない。名前を与えれば、対処の段階に入る。


「継続」変わらない指示。だが、声はわずかに低い。


白瀬が言った。「水上の不明接触との関係は」


「現時点では結びつけていません。同方向にある、という以上のことは言えません」


「その判断は正しい」黒崎が言った。「二つを結びつけたくなる気持ちは分かる。だが、結びつけた瞬間、その前提で動き始める。データが揃ってから結びつける。順番を守れ」


「了解です」


────


日豪双方で「人工物の可能性、六十パーセント」という推定が一致した。偶然の領域を越え始める。


そして不明接触は、十六海里に縮まっていた。


点が、わずかに針路を変える。こちらへ向いたか?「断定不可」だが偶然にしては角度が近すぎる。


「あさひ、対水上監視強化」「了解」


砲は動かない。だが、火器管制レーダーの待機表示が灯る。まだ照射しない。だが、準備は整う。警戒は、静かに段階を上げる。


────


同日 種子島


官邸に、種子島からの報告が入った。


衛星打ち上げの準備が完了している。予備機として保管していた小型多目的衛星。通信中継と広域観測を兼用。


「打ち上げまでの時間は」「準備完了から三時間以内。気象条件は現在良好」


相馬は目を閉じた。海底の周期短縮の報告がまだ耳に残っている。


「十分だ」


「公表は」「しない方がよいでしょう」


宇宙に新しい目を置くことは、「こちらは見ている」と宣言することと同じだ。


名称は?「暫定番号で。機能コードのみ付与」


衛星に名前は与えない。名前は意味を持つ。物語を持つ。今は、機能だけでいい。


種子島。整備塔の影が短く、ロケットは白く光る。観覧席は空。報道陣もいない。ライブ配信もない。


「燃料充填開始」「圧力正常」「温度安定」「誘導系、チェック完了」


カウントは、淡々と進む。これは打ち上げイベントではない。再建だ。失われたものを、一つずつ取り戻す作業。


あの朝に失った衛星の代わりになるわけではない。だが、何もないよりはいい。一つの目が加わる。一つの目があれば、一つ分多く見える。


────


「あさひ」艦橋


「距離、十四海里」


水上の点は、なお接近を続ける。


川上は、判断を待っていた。何かが映るまで。「人工物可能性、七十パーセント」という数字が出た以上、次は「接触した場合の方針」を確認しておかなければならない。


「まず距離を取る。次に記録する。判断はその後だ」


それが官邸からの指示だった。


では、距離を取れない状況になった場合は?


その問いには、まだ答えが来ていない。


「指示を取れるか」「官邸との回線は生きています」「確認しておけ。今すぐではないが、その状況になったときに通信が取れるように準備しておけ」


「了解です」


────


海は青い。変わらない。波も穏やかだ。


だが、二つの線が、ゆっくりと交差に向かっている。


海底の鼓動。水上の接近。


偶然が二つ、同時に起きている。そう言い張ることは、もう難しい。


最初のずれは形になった。そして今、形は動き始めている。


それでも、誰もまだそれに名前を与えない。


名を与えた瞬間、それは脅威になる。


だから、まだ呼ばない。


だが、全員が理解していた。


次の段階で、何かが決まる。


◆「周期短縮」が示すもの

振動の周期が短くなることは、エネルギーの増加または状態の移行を示唆する。自然現象では起こりにくい「意図的な変化」の可能性がある。待機状態から何らかの次段階に移行しつつあるとも解釈できる。


◆「七十パーセント」の閾値

軍事的判断において、確率的な評価は重要だ。六十パーセントは「過半数を超えた」だが、まだ判断を留保できる。七十パーセントは「偶然の範囲を実質的に超えた」と多くの組織が判断する閾値に近い。だが「百パーセント」でなければ動けない制約もある。


◆即応型衛星打ち上げ

通常、衛星打ち上げは数年の計画期間を要する。「予備機」として保管された衛星は、この通常ルートを省いて即時対応できる。あの朝以降衛星の大部分が消失した現状では、この「予備機」の存在が極めて重要になる。衛星がなければ、広域海上監視は不可能に近い。

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