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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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14/15

確認という名の派遣

西暦××××年××月××日 首相官邸 会議室


「……確認、という整理でよろしいですね」


相馬隆の声は、必要以上に感情を含まず、だが完全に事務的でもなく、会議室の中央でわずかに反響した。声量は抑えられている。強調もしない。語尾も尖らせない。


それでもその一言は、部屋の空気を確かに押した。


机の上には資料が伏せられている。表紙は淡い色で統一され、目に刺さらない。機密区分を示す赤字も貼られていない。


だが、そこに記された題名だけが、静かに場を支配していた。


周辺海域状況 共同確認について


探索でもない。派遣でもない。対応でもない。


「確認」。


その言葉が選ばれていること自体が、この会議がどこまで踏み込み、どこから踏み込まないのかを雄弁に語っていた。


「決定ではない、という理解で?」


相馬が同じ言葉をもう一度、今度は相手の反応を確かめるように繰り返す。


大石祐人が資料に目を落としたまま、すぐには答えない。一拍。二拍。


「閣議決定は、あくまで"実施報告"の形になります」


声は低く、だがはっきりしている。断定でも主張でもない。制度の読み上げに近い。


「実施の可否を決めるのではなく?」


「すでに関係省庁で進んでいる準備について、内閣として把握した、という整理です」


相馬はその言葉をなぞるように復唱する。「派遣の事実を確認する、という?」


「はい。目的は情報収集です。武力行使は想定していません」


後藤彰浩が間を埋めるように補足する。「オーストラリア側も同じ整理です。共同"探索"ではなく、共同"確認"」


探索と言った瞬間、相手がはっきりする。敵か、未知か。確認であれば、相手はまだ世界そのものだ。曖昧なまま、保留された存在。


その違いを、この場にいる全員が理解している。言葉は態度だ。どの言葉を選ぶかが、どういう立場に立つかを決める。


「……で」


沈黙を破るように、黒崎恒一が口を開く。確認という言葉の下に隠れていた核心を、正面から突く問いだった。


「何を出すんだ」


大石が資料を一枚めくる。紙の音が、不釣り合いなほど大きく響いた。


「海上自衛隊からは、測量艦『しょうなん』」


一瞬、室内の空気が止まる。止まったのは驚きではない。計算だ。


「……測量艦?」


誰かが確認するように聞き返す。否定でも懐疑でもない。意味を確かめるための問いだ。


「はい。海底地形、水深、磁気異常。海域の基礎情報を把握するためです」


「戦闘艦ではない、というメッセージになりますね」


相馬が慎重に言葉を選ぶ。


「そう受け取ってもらえます」


大石は断定しない。否定も、強調もしない。


「護衛は?」


「護衛艦『あさひ』を一隻。あくまで航行の安全確保です」


「"確認"にしては、ずいぶん揃えますね」


誰かが言いかけ、途中で口を閉じた。笑いは起きない。


「測量艦。護衛艦一隻。日豪共同。期間は未定。海域は」


「公表しません」後藤が即答する。「オーストラリア側も同意しています」


「理由は?」


「不要な憶測を招かないため、という整理です」


誰も異議を唱えない。その言葉がどれほど便利かを、ここにいる全員が知っている。


「帆船を目視した海域との関係は」黒崎が聞いた。


「同方向です」大石が答えた。「ただし帆船はまだそこにいます。動いていません。確認艦との接触が想定されます」


「接触した場合の対応は」


「今日の段階では、接触を想定した手順を決めていません。現場の判断に委ねます」


「現場が判断する、ということを事前に伝えておけ。現場が戸惑わないように」


「了解です」


「では」


相馬が言葉を整える。「本件は、日豪共同による海域状況確認の実施について報告を受けた、という形で閣議に付します」


「決定ではなく?」


「ええ。確認です」


その一言で、会議は終わる。拍手はない。反対もない。賛成の表明もない。


ただ、誰もが「次の段階」を理解したまま、静かに席を立つ。


────


同日 港 測量艦「しょうなん」


同じ時刻。港では、測量艦「しょうなん」の甲板に人影が増えていた。


チェックリストが回され、ケーブルが確認され、観測機器が固定される。作業は淡々としている。まるで、ずっと前から決まっていた予定のように。


「航路、もう一度確認してくれ」「了解」「オーストラリア側との合流ポイントは?」「第三区画、暫定座標です」「"暫定"か」「はい。正式名称はまだありません」


艦橋のモニターには、広い海域が映し出されている。線は引かれていない。名前も付いていない。ただ、何も書かれていない空白が、確かにそこにある。


測量艦の測量士が、機器の最終確認をしながら言った。「最初に行く海域、名前がないな」


「まだない。名前は、行って確認してからつける」


「確認してから名前をつける、か」


「そうだ。名前が先にあったら、確認の結果に引っ張られる。名前は後だ」


測量士は頷いた。「それは確かに正しい」


机の上の海図には、暫定の座標だけが書かれている。線が引かれていない。名前が書かれていない。それが今日の状態だ。


────


同日 護衛艦「あさひ」艦橋


川上一佐は艦橋に立って、出港の準備を見ていた。


甲板の作業員が、係留索を解きはじめる。タグボートが定位置についている。いつもの出港と変わらない手順だ。


変わっているのは、行き先だ。


「今回の任務、珍しいですね」当直士官が言った。


「珍しくもない」川上は答えた。「未知の海域を確認しに行く。それ自体は、自衛隊が長年やってきた仕事だ」


「でも、今回の"未知"は」


「これまでと違う種類の未知だ」川上は認めた。「これまでの"未知"は、地図の上にある。地名があって、そこに何があるかが分からない。今回の"未知"は、地図そのものがない。地名がない。座標もまだ暫定だ」


「怖くないですか」


川上は少し間を置いた。「怖いかどうかより、行かなければならない。それだけだ」


船が岸壁を離れ始めた。


────


同日 夜 官房長官定例会見


相馬は定例会見で淡々と述べた。


「本件は、安全保障上の新たな対応ではありません。あくまで状況確認です」


質問が飛ぶ。


「派遣される艦艇は?」「測量艦を含みます」


「護衛は?」「航行の安全を確保するための最小限です」


「期間は?」「現時点ではお答えできません」


「目的は?」「海域の状況確認です。情報収集が目的です」


「帆船の件と関連していますか?」「状況確認の一環として、周辺海域の全般的な確認を行います」


原稿通りの言葉。会見場のカメラが、相馬の顔を捉えている。カメラに映るのは、感情のない声と、整理された言葉だけだ。


会見が終わる頃には、「しょうなん」の出港時刻はすでに確定していた。


その情報は、まだ大きなニュースにはならない。だが海図の上では、一隻分の記号が静かに書き加えられている。


それは宣言ではない。決断でもない。


ただ、「確認」という言葉が、制度を離れ、現実として動き始めただけだ。


────


同日 キャンベラ 国防省


キャンベラでは、誰も「確認」という言葉に長く留まらなかった。


「日本側は"確認"という整理を選びました」外務省の担当官が淡々と報告する。声に含みはない。評価も、同意も、批判も、そこには含まれていない。ただの事実だ。


「こちらとしては?」国防相が即座に返す。


「予定通り航行確認を実施します」


「合流は?」


「日本側の測量艦しょうなんに合わせます」


「日本は公表しない方針だそうです」


「分かった。こちらも同様に」


それで話は終わる。理由は問われない。すでに進む方向は決まっている。確認は、方向を変えるためではない。


「接触した場合は?」誰かが確認する。


「まず距離を取る。次に記録する。判断はその後だ」


指示は簡潔だ。余計な修飾は付かない。曖昧さも最小限だ。


────


会議は短い。議事録も簡潔だ。余白は意図的に削られている。書かれていないことは、「決まっていない」ではなく、「現場が判断する」という意味だ。


夜、キャンベラの官庁街では、灯りが一つずつ消えていく。だが、机の上には海図が残されている。折り目。書き込み。引かれた線。そこには名前が書かれている。空白も、空白として明示されている。


「日本は"確認"と言っているが……」担当官が独り言のように呟く。「確認で済むなら、それでいい」


続く言葉は口に出されない。


済まなかったら?


その問いは、すでに胸の中で処理されている。だから、言葉にしない。言葉にしなくても、準備は終わっている。


────


この時点で、日豪の認識は完全には一致していない。


日本は言葉を整え続けている。オーストラリアは行動を整え終えている。


だが、進む方向だけは一致している。そして、それで十分だった。


次に違いが表に出るとしたら、それは海の上だ。書類でも、会議室でも、会見場でもない。


誰もそのことを口にしない。だが、全員が理解している。


────


同日 夜 別の場所


白瀬は帰りの車の中で、メモ帳を開いた。


「確認できない」「理由がない」「前提」


この三つの言葉を、あの朝から書き続けてきた。


今日も同じ三つの言葉を書いた。しかし今日の三つは、これまでと意味が違う。


「確認できない」は、今日の会議で「確認しに行く」に変わった。まだ「確認できた」ではない。しかし、「確認しに行く」という段階まで来た。


「理由がない」は、今日の経産省の報告書で変わった。輸入依存という構造。百八十日という数字。「理由がない」状態に、数字が付いた。数字がつくと、「理由がない」ことが維持できなくなる。


「前提」は、まだ変わっていない。この惑星が地球かどうか、まだ確定していない。それが「前提」だ。前提が確定しない間は、次の段階に進めない。


測量艦が出港した。オーストラリア艦と合流する。海域を確認する。


その確認が、前提を変えるかもしれない。


車の窓から、夜の東京が見えた。灯りがいつも通りに輝いている。街はいつも通りに動いている。


その当たり前の夜の中に、今日起きたことが、まだ音を持っていなかった。

◆測量艦「しょうなん」

海上自衛隊が運用する音響測量艦。海底地形、磁気、音響特性などを精密に計測する能力を持つ。戦闘能力は持たないため、「確認」という名目で出港させるのに最も適している。「戦闘艦ではない」というメッセージを相手に送りながら、実際には探索活動を行える。


◆閣議の「実施報告」

通常、閣議は決定を行う場だ。だが今回は「すでに進んでいる準備を把握した」という形を取ることで、決定ではなく追認の形にしている。責任の所在を曖昧にしたまま、事実だけを積み上げる官邸の手法。


◆日豪の「確認」に対する姿勢の違い

日本側は「確認という言葉で自分たちを守ろうとしている」。オーストラリア側は「確認は次の行動への足場だ」と理解している。同じ行動をしながら、言葉の意味が違う。その差は、何か起きたときに表面化する。


◆DD-119「あさひ」

海上自衛隊のあさひ型護衛艦1番艦。2018年就役の汎用護衛艦。本作では外縁進出・測量艦護衛の主力艦として機能する。

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