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9.きっと、届ける

 思考より先に、空が回転した。


「っ、ぁ――ぐぅ……!」


 肺の空気が押し出され、視界が白く弾け飛ぶ。

 空と大地がぐしゃりとねじれ、世界が逆さに回転する。

 身体から、何か大事なものがこぼれ落ちていく感触だけが残った。


 衝撃で、全てが散った。

 椅子も、荷物も、リシェルさんも、宝剣も――

 現実ごと粉々に放り投げられたみたいに。


 (リ、リシェルさ……っ!)


 声にならない叫びが喉で空回る。

 必死に手を伸ばす。けれど、届かない。

 風にさらわれるように彼女の姿が遠ざかる。

 銀の軌跡と黒い影が、空に散った星屑みたいに弾けていく。


 竜が吼える。

 耳ではなく骨で響く咆哮。

 空気そのものが沈み込み、世界が押し潰されるような音だった。


 重力に引きずられ、体が落ちていく。

 風が頬を裂き、血の味が口に滲む。

 地面が、どんどん迫ってくる。


 息が吸えない。

 視界が細くなる。

 意識が、手の届かない深い闇へと沈んでいく。


 (……ああ、やっぱり、ダメだったんだ。私なんかじゃ……)


 視界が闇に沈んでいく。

 その境界で、誰かの声が――確かに、響いた。


 ――「早く見たいなぁ。カナタの輝くところ」


 母さんの、声だ。

 あの、かすれた声で。それでも明るく笑っていた声で。

 

 ――「だって、私と、あの人の娘だよ? きっと、凄いよ」


 記憶が一瞬で蘇る。

 あの部屋の匂い。白い天井。

 もうまともに動かなくなった母の手を、ただ握っていたあの夜。

 冷たいのに、いつまでも温かかった。

 

 泣けなかった。

 怖くて、泣く資格なんてない気がして。


 ――「何があっても諦めちゃダメだよ」

 ――「諦めなければ、きっと上手くいく」


 (……母さん……)


 ――「だから。ね、カナタ。あなたはいろんな人に、希望を与える人間になりなさい」

 ――「きっと、宇宙(そら)の彼方まで。……あなたの希望が届くことを願って」


 お母さんが息を引き取ったのはその一週間後だった。

 隣でエレノアが泣き崩れる中、私は――。私は、涙も出なかった。

 だって、まだ何もしていなかったから。

 何ひとつ、成し遂げていなかったから。

 

 だから――私は空を駆けるんだ。


 (まだ終われない。私は、まだ……!)


 心がそう叫んだ瞬間、世界がきしむ音がした。

 竜の咆哮も、落ちていくリシェルさんも、宙に散る宝剣も――

 全部がフィルムを引き伸ばしたみたいに、スローモーションになる。


 時間が、引き延ばされていく。


 気づけば、世界がキラキラと光り出していた。

 私の“空路”が、自分でも制御しきれないほど全方位に展開している。

 星々が糸を引くようにつながり、視界一面が満天の星空みたいに――

 私の作った光の道で、埋め尽くされていた。


「キラキラだ……」


 宇宙のど真ん中に、ひとり落ちていくみたい。

 怖いはずなのに、不思議と、胸の奥だけが熱かった。


 だって、分かる。

 ここを逃したら、もう二度と間に合わない。


「……まだ、終われません!」


 自分に言い聞かせるように叫んで、星を蹴った。

 空路を踏みしめるたび、時間が少しだけ早回しになる。

 竜の爪がゆっくり迫る。その隙間をぬうように、光の道を駆け抜ける。


 落ちていく宝剣。反対側で落ちていくリシェルさん。

 どっちか片方じゃ意味がない。

 どちらか一瞬でも取り逃がしたらそこで、終わり。

 リシェルさんも、宝剣も、あの竜も。

 お母さんとの約束も。全部ここで終わってしまう。


 ――そんな結末、絶対に嫌だ。


 届けるんだ。私は飛脚だ。絶対に……!


 星を踏む。宙を跳ぶ。

 竜の爪が身体をかすめ、皮膚が裂けるような痛みが走る。それでも、止まらない。

 指先が、銀の冷たさを捉えた。宝剣だ。


「っ、あと一つ!」


 反動を利用して身体をひねり、逆方向の空路を蹴る。

 視界の端で、リシェルさんがスローモーションで落ちていく。

 伸ばした腕が届かなかったら、そのまま彼女は――


「届け――っ!」


 指先と指先が、かすかに触れた。

 強く掴む。抱き寄せる。肩口に、確かな重さが戻ってきた。


「……よしっ!」

 


 地面が目前に迫る。

 最後の一段、空路をぎゅっと編み込んで、思いきり蹴りつける。


 ぎりぎりで速度が殺され、地面すれすれでびたりと急停止した。


「ぐっ――うぃうう……」


 肺から変な声が漏れる。

 全身が悲鳴を上げる中、腕の中にはリシェルさんと宝剣。

 たぶん、ここまでで二秒か三秒。そんな一瞬のはずなのに、永遠みたいに長かった。


 リシェルさんは、信じられないものを見るような顔で私を見上げていた。

 ……うん、正直、私自身が一番信じられない。

 まさか、空路の上でここまで速く動けるなんて。


「あ、あぶな……」


「あなた……あの距離を、あの状況でどうやって!?」


「な、なんとかなりました。説明は後でっ!」


 返事をする間もなく、黒竜が砕けた空気の向こうで咆哮する。

 影が迫る。反射で星路を再構築――急旋回、急下降、直角加速。

 視界がぐにゃりと歪む。肺が潰れそうになる。

 リシェルさんの身体にもだいぶ負担がかかっちゃうけど――そんなこと言ってられない。


「うわわわわわっ!」


 回避、回避、また回避。

 竜の翼が空を裂く。

 その度に、稲妻みたいな風圧が肌を削る。


 まずい……体がもたない。


「ウプッ……そろそろ……活動、限界かもです……」


 喉元まで酸がこみあげてくる。

 なんというか、吐き気が来る前の胸が凍るような感覚。あれが喉元まで迫ってきている。

 視界の端がノイズみたいにちらつく。

 

 竜が空中で静止し、こちらを値踏みするように見下ろす。

 一呼吸だけ、時間を稼げた。

 

(息を整えろ……動けなくなる前に……!)


「さっき、竜が宝剣に食いつこうとしたとき……背中から黒い瘴気のようなものが噴出してるのが見えました。たぶん、あれが……弱点かもしれません」


「背中……つまり、後ろに回り込まなきゃいけないってことね」


「でも、正面突破はムリです。竜の動きが激しすぎて、とてもじゃないけど後ろになんて回り込めません」


 そこでリシェルさんは、短く息を飲んだ。

 決意に火が点く音がした、気がした。


「私がやる」


 宝剣を抜く音が、鋭く響く。

 銀白の刃に光が差し、風が彼女の髪を揺らす。

 どこか神々しいほどの気配。


「で、でも――」


「あなたを信じるわ。作戦があるんでしょう?」


 迷いのない声。

 逆に、私の胸が圧迫される。

 

「信じてくれますか?」


 問うと、彼女は静かに頷いた。


「逃げてるだけじゃ、変わらない。今度は――私が行く番」


 リシェルさんは、静かに頷いた。

 その瞳には、もう恐怖はなかった。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます!

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