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8.虚ろな朝と真実の灰色

 夜が明けるころ、風の匂いが変わった。

 霧が薄れて、遠くの山並みが金色に染まっていく。


「よかった……もう、竜はいませんね」


「ええ」


「リシェルさん! 見てください、日の出です! めちゃくちゃ綺麗ですよ!」


「……そうね」


 一拍おいて、彼女はぽつりと呟いた。

 

「本当に……最悪な景色」

 

「そうですか? 綺麗なのに」


 短い返事。

 それだけなのに、どこか寂しそうに聞こえた。


「ヴァレオラって、どんな国なんです?」


「……行けば、わかるわ」


 彼女の視線が、一瞬だけ遠くを見た。



 ♢ ♢



 それから――私たちは、すっかり晴れ渡った山脈をひた駆けた。

 ちなみにリシェルさんに付けてた口布は外した。

 彼女もそろそろ慣れてきた――というより、今日は全力で拒否されたからだ。叫ぶこともなく、淡々と身体を預けてくれている。


 ……信じた、というほど大層なものじゃないかもしれないけど。

 でも、昨日よりは、確かに。

 “任せてくれる”くらいにはなったのかもしれない。なんだかそんな感じがした。


 山脈を越えるころ、風の匂いが変わった。

 

 眼前には見渡す限り、灰色。

 恐らく本来なら草原であったはずの裾野は、一帯が焼け跡のように爛れていた。


「な、なんですかこれ……」


 自然と息が震える。

 焼けた木々、崩れた屋根。雨で濡れた灰が風に舞い上がる。


 視界の端に村……いや、かつて村であっただろう残骸が散らばっているのを見つけて私たちはすぐに降下した。


「寄り道してる暇なんてないわよ」


 そう言われたけど、この惨状を初めて目の当たりにして無視することなんてできなかった。

 一帯が全て倒壊している。

 

 その建物の端からは、人の手が見えた。

 動かない。冷たい。

 その一瞬で、胸の奥がきしむ。

 

「リシェルさん……これ、まさか」


 彼女は答えなかった。

 ただ、背を向けたまま言った。


「そう。あの竜にやられたの」


 そう彼女は言った。

 私はせめて少しでも、と祈りを捧げた。

 しかし、リシェルさんは遠くをぼーっと見つめるだけで何もしない。


「……祈らないんですか?」


「今更祈っても、もう何も変わらないわ」


 風が灰を巻き上げる。

 その中で、彼女は立ち尽くしていた。

 まるで、すべてを受け入れてしまったかのように。


「祈りで救われるなら――」


 彼女はそこで言葉を飲み込んだ。

 灰の舞う中で、彼女はぽつりと続けた。


「どうして……私だけが、生き残ったの……」


 それは私に向けた言葉ではなく、

 自分自身に落とした問いのようで。

 

 その一言が、胸を刺した。

 風が止まり、世界が息を潜める。

 灰の粒がゆっくり空へ舞い上がり、時間が止まったように感じた。


 焼け焦げた村の中で、私とリシェルさんの足跡だけが残る。

 彼女は背を向け、淡々と告げた。


「……行くわよ」


 灰の中には、まだあの小さな手が埋まっていた。

 風が吹けば、跡形もなく消えてしまいそうなほどに儚く。


 ――でも、だったらどうして。

 生き残ったことを、そんな風に言うんだろう。

 どうして彼女は“帰りたい”なんて言ったんだろう。


 竜災でヴァレオラの一帯は焼き払われている状態で、生き残りがいるなら喜ぶはず。

 いないとわかっているなら、帰る理由もない。

 どっちにしても矛盾している。

 

 何かがおかしい。

 でも、何がおかしいのかはまだ分からない。


 なんというか、ここまで来て、いざこういう景色を見てしまって。なんだか怖くなったとかそういうわけではないけれど……なんだかとんでもないことに巻き込まれてしまったんじゃないかと今更ながらに怖くなった。

 でも、それでも。

 いまの私は飛脚だ。考えるより先に、“届ける”のが、私の仕事だから。


 風にかき消されそうなその言葉を胸の奥で呟いた。


 

 ♢ ♢

 

 

「見えてきました!ヴァレオラです!」


 広大な平原を抜け、ついに地平の向こうに緑の帯が見えた。

 雲間から陽が差し込み、濡れた大地を金に照らす。

 遠くに連なる崩壊した塔。崩れた街壁の残骸。

 やはりというか……ヴァレオラ王国自体も無事ではなかった。

 まるで希望と終焉が同じ色で溶け合ったかのような、とても奇妙な光景だった。


「ええ……やっとここまで――」

 

 リシェルさんが言いかけた、その瞬間。

 空気の“匂い”が変わった。

 

 焼けた鉄のような臭気。肺の奥がざらつく。

 耳の奥で、何かが低く唸った。

 音というより、圧。

 空間そのものが震えるような“気配”。


「……っ、今の音……?」


 リシェルさんの声が掠れる。

 次の瞬間、空が裂けた。


 黒い影が、まるで雲を割って降りてくる。

 雨雲よりも暗く、稲妻よりも速い。

 翼が広がるたび、風景が揺らぎ、空気が悲鳴を上げる。


 ――竜だ。

 あの夜の、あの“黒”。

 否、同じ個体か、それとも別の災厄か。

 どちらでもいい。ただ、その存在だけで膝が震えた。


「来ました! あの竜です!」


「見ればわかるわよっ!」


 返事の直後、爆風が横から殴ってきた。

 私の体が横に持っていかれる。背負ったリシェルさんの腕に力がこもるのを感じる。


 はやっ……! しかも近い……!


 竜の影が丘を飲み込み、地面の草が一斉になぎ倒された。

 振り返ると、あの巨大な体躯が、もうすぐそこに――。


「と、とにかく逃げます!」


 もう少しでヴァレオラだ。もう視界には入っている。目的地が目の前にあるのに、このままではそもそも着地というか到達することすらままならない。


 しかも、どういうわけか今度は明らかにこちらを狙っている。

 ほんとに、――なんなの!?


 空路を編む。星屑のような足場に靴が触れた瞬間、背後で音が爆ぜた。

 ブレス!?

 振り返る間もなく、熱が背中を舐め、空気が膨張する音がした。


 リシェルさんが叫ぶ。


「どうにかして撒けないの!? それこそ、戦うとか!」


「無理です!!  私そういう職種じゃないですから!!」


「はぁ!?!?」


 竜の影が斜めから迫る。

 その度に空路を編んで、直角加速でかわす。


「だって……怖いですし!!  配達専門の飛脚ですから!  そういう能力ですからぁぁぁ!!」


「昨日あれだけ立ち回っておいて、今更戦えないなんて言うの!?」


「だ、だからあれは……逃げてただけですからぁ!!」


「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 風圧で身体が横に流れる。

 心臓が変な音で跳ねる。

 竜の爪が、目の前の空気を引き裂いた。


「昨日も、何か探してる感じでした! リシェルさん、何か知りませんか!?」


 リシェルさんが背後で息を呑むのを感じた。

 

「……わからない。けど――」


 そう言ってリシェルさんが外套の奥から取り出した一本の剣。

 陽光を弾く、銀白の刃。

 竜が咆哮した。まるで、それに反応するかのように。


「これ、かもしれない。あの竜が探しているのは――この剣。私が持ち出した、ヴァレオラの宝剣」


「宝剣……って、王家の!?」


「そう。私は――ヴァレオラ第一王女、リシェル・ヴァレオラ」


 世界が一瞬、静止した。

 後ろでもう一度、風景が白く染まった。

 

「っぶなぁぁぁああ!!」


 炎の奔流が地表を貫き、黒煙が舞い上がる。


 振り返れば、地平が溶けていた。


「どうするのよ、逃げてるだけじゃ――!」


 その叫びは、怒鳴り声のはずだった。

 けれど次の瞬間、リシェルさんの指がぴたりと止まった。


 柄を握っていた手から力が抜け、銀の刃がわずかに傾ぐ。

 風でも熱でもない――迷いで、呼吸が途切れる。


「……逃げてるだけじゃ、何も……」


 その声は、私に向けたものではなかった。

 たぶん、自分自身に落とした言葉。

 

「そんなこと言ってもしょうがないじゃないですか!!  何も聞かずにつれ出したのはリシェルさんでしょう!!」


 返事はない。ただ、小さく息を呑む音だけが背中越しに伝わる。


「だから飛び立つとき言いましたよね!? 一人じゃヤバいって!!」

 

 私は運ぶだけだ。それしかできない。

 だけど、届けると決めた以上――最後までやる。


「どうしたいのかは……リシェルさんが考えてくださいよ! 自分で!」


 その一言に、彼女の肩がびくりと揺れた。

 握った拳が震える。怒りか、恐怖か――それとも。


 その瞬間――会話に集中していた私たちは、竜の気配を見落とした。


 風が止まる。

 空気が、一拍だけ沈黙する。


「……っ?」


 背筋がざわついた時には遅かった。


 竜は追いついていなかったわけじゃない。

 狙いを定めるために、上空でこちらの軌道を測っていたのだ。

 喉奥で、低い咆哮が震える。


 ――来る。


「リシェルさん、掴まって――!」


 叫びかけた声が、衝撃でかき消された。


 尾がしなり、横薙ぎの衝撃が世界を叩き割る。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます!

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