第5章 依頼:事件発生
ガタン、何か大きな音がした。なにかが倒れた音。
そして、誰かの気配。僕は慌てていつもの所に隠れた。
大きなお屋敷には僕と彼女しか住んでいない。
こんな遅い時間に誰かが屋敷の中にいることはない。
「誰かいるのかい?マーかい?マー君、こっちおいで」
彼女が呼んでいるけれど、今は怖くて彼女のところにはいけない。
屋敷の中に誰かがいる気配と音がする。
それはあきらかに彼女と僕以外の生き物、そして邪悪な波長を放っている。
誰なのか、何者なのかは僕にはわからないけれど、この広い屋敷の中を徘徊している。
何かを探して部屋から部屋へ動いている。
「マー君、どこにいるの?リビングかい?キッチンかい?」
彼女は僕の名前を呼びながら長い廊下をスリッパの足音をたてながら歩いてくる。
こっちへ来ちゃいけない。
僕は大きな声で叫ぶけれども、彼女は僕の声の方へどんどんと近づいてくる。
僕はあわてて隠れていた場所から彼女のいるところへ走った。
彼女が歩いてくると廊下に大きな黒い影が動いている。
「あ、あなた、なぜ、なにしに来たの・・・」
彼女はそういうと廊下を後ずさりする。
黒い影の手元には暗闇に鈍く光るものが握られている。
僕はあわてて彼女を助けたい一心で黒い大きな影にとびかかった。
歯、爪、できるかぎりの抵抗。
気が付くと、僕は床に打ちつけられていた。
彼女の呻く声、倒れる音、僕は立ち上がって黒い影の顔を睨んでいた。彼女の元に駆け寄った。
足元にはぬるぬるとした液体が広がっている。
血だ。怪しい影と対峙しながら怪しいやつの顔をにらんだ。
こいつは見たことがある。
いつだっただろう。
この匂い、嗅いだおぼえがある。この家に来た最初のころだった気がする。
怪しい奴は僕の首をつかもうとするから、あわてて開いていた庭に出られる窓から外に飛び出した。
彼女はどうなってしまったのだろうか。
もう、あの家には戻れないのだろうか。庭から叢を抜けて隣の塀を乗り越え、僕は一目散に走った。
怪しい奴は屋敷中を物色し、金目の物を見つけるとつぎつぎと袋に入れて、家じゅうの家具の引き出しを開けては中のものを放り出し、まるで何かを探しているように散らかし、のしのしと足音を立てながら長い廊下を歩き、玄関から出て行く、屋敷の中にはこと切れた老女と流れ出た血だけが残され、そして静寂が訪れた。
「にゃあ、にゃあ、そろそろ起きて、朝ごはんくんない?あと、ブラッシングもしてほしいにゃ」
猫の朝は早い、というより猫は寝ていない。
そもそも夜行性で、猫たちは昼間はどこか涼しくて心地のいい場所を見つけて静かに眠っている。
だからマリンは日の出と共にやってくる。
夜の間はリビングや母のベットの中とか好きなところで過ごし、朝5時ぐらいから私を起こしにやってくる。
ソラのいたころは鳴き声で起こされていたが、言葉がわかるようになってからは明確な要求を伝えて起こしてくるから、やっかいだ。
そして、なんだかつらい。
鳴き声だけならその場しのぎに毛布の中にとりこんであやしてやり過ごすけれども、ごはんほしいとかブラッシングしてほしいとか具体的に言われると断ることもできず、無視して寝続けることも忍びない。
特に餌は飼い主の最重要な責任だから逃れられることなんてできないのだから。
私は眠い目をこすりながら、ベッドから起き上がり、キッチンへ行き、マリン用のお皿にカリカリの餌を入れて、リビングの猫の餌スペースに置き、そして、ベッドにもどり、もう一度、寝なおした。ブラッシングは今でなくてもいいよね。
そして、ふたたび眠りに落ちた。
「そろそろ起きなさいよ。私は仕事にゆくから、マリンの世話もよろしくね。あと、洗濯物を干してある
から乾いたら取り込んでね。じゃあ、いってくるね。行ってきます。」
母の声が階下からすると、家の中には私とマリンの二人きり、静寂が広がる。
ベッドからのっそりと起き上がって、リビングにゆき、ソファに座ってぼーっとする。
まだ、頭が覚めない。
そこに餌を食べて満足そうな顔のマリンがやってきて、話しかけてくる
「にゃあ、にゃあ、トイレも掃除してくれにゃいかな。砂も替えてほしいにゃあ」
「はいはい」
猫の餌とトイレの掃除は私の役割になっている。
父と母は仕事でほとんど出かけているし、この子と過ごすのが長いのは私だから。
遠くで救急車のサイレンとパトカーのサイレンが聞こえてきた。
マリンがジッと窓の外のサイレンのする方向をみつめている。
「どうしたの?マリン、サイレンが怖い?大丈夫だよ。」
そう言い聞かせながらマリンの背中を撫でる。
「にゃあ、なにか起こっているにゃあ。」
「そうなの。何が起こってるの?」
「わからんにゃあ。」
わからんのかい!と心の中でつっこみながらテレビをつけた。
テレビでは遠くの国の戦争について報道していた。
「いつまでたっても人間は争いをやめないにゃあ。
いくら私たちが人間たちに慈しみとやさしさを思い出させても、人はすぐに忘れて私利私欲で我を忘れるにゃあ。
もう、だめだにゃあ」
ソファに座る私の前をぶつぶつと言いながらマリンはテレビの前を通り過ぎてゆく。
「ちょっと出かけてくるにゃ。」
そういうとマリンはテラスから庭に出て行った。
そして、私は静寂の中で一人になった。テレビだけが同じ内容のニュースを繰り返している。
確かにマリンのいう通り、人間の愚かさはいつまでたっても変わらないと思う。
昼間から仕事もせずに家でゴロゴロしている私が言うべきことではないけれど。




