第2章 夢:ふしぎな能力
月の明かりを遮るように、何かが窓の前を横切った――そんな気がした。
けれど、それはきっと気のせいだろうと、私はそっと窓を閉じ、カーテンを引いてベッドに入った。
このあたりの住宅街は夜になると音のない世界に包まれる。真夜中を過ぎたころ、ふいに目が覚めた。
理由はわからなかった。
ただ、部屋の空気が、いつもと違う――そんな気配がしていた。
カーテンの隙間から漏れる淡い月光に照らされ、
そこに立っていたのはソラ……のようでいて、ソラではなかった。
茶色い鬣に、透きとおるような黄色い瞳、大きな耳――顔は間違いなく、私の知るソラだった。
けれど彼は、すっと後ろ足で立ち上がり、人間のような姿で、まるで宇宙服のような不思議なスーツをまとっていた。その身長は、成人男性ほどもあった。
「すまない、起こしてしまったかな」
――それは、彼の声だった。優しく、静かで、どこか懐かしい。
「君には、大変に世話になった。どうしてもお別れのあいさつと、お礼が言いたくて、戻ってきたんだ」
猫が話している。
それなのに、まったく違和感はなかった。
いつも通じ合っていたからだろうか。ソラの言葉は、私の心にすっと染み込むように響いた。
彼は窓辺に腰かけ、私を見つめながら語りはじめた。
「突然いなくなって、すまなかった。私はここにいるには歳をとりすぎたのだよ。
私たちの種族には、“年老いたら、本来の世界へ還る”という掟がある。
人はそれを“死”と呼ぶけれど、実際は――故郷へ帰る旅なんだ」
私は夢の中にいるのだと思った。けれど、言葉のすべてが現実のように感じられた。
「君やご家族に受けた恩は、忘れない。
せめてもの礼として、君に“力”を授けよう。我々の種族が持つ特別な力を……。
この能力があれば、これからも我々と、あるいは彼らと共に、幸せに生きていけるだろう」
「……そろそろ行かねばならない。長居をしてしまった。
これで、本当にお別れだ。ありがとう。君たちとの日々は、かけがえのない宝物だった。
家族の皆にもよろしく伝えてくれ。では――お元気で」
そう言うと、ソラの姿は、すうっと空気に溶けていった。
目を閉じ、再び眠りに落ちる直前、私は思った。
これは――夢なのだと。
けれど、朝になって目を覚ましたあとも、その“夢”は不思議な余韻を残していた。
母の声が階下から聞こえる。
「起きなさいよ、朝ごはん用意してあるからね。私は仕事行ってくるから」
父はもうとっくに出かけていて、家の中は私ひとり。
以前なら、ソラが布団に飛び乗ってきて、私を起こしに来ていた。けれど今は、静まり返っている。
台所から用意してあったシリアルに牛乳を注ぎ、ソファに腰かけたときだった。
ごそごそ――どこからか、物音がした。
音の方を見ると、リビングの奥から、一匹の三毛猫が静かに歩いてくるのが見えた。
見知らぬ猫。でも、不思議と恐くはなかった。
猫は私の足元に座り、じっとこちらを見上げていた。
「かわいいね」
そう言って撫でると、猫は嬉しそうに喉をゴロゴロ鳴らした。
――「気持ちいい。ありがと」
……え?
誰かの声が、確かに聞こえた。まわりを見回したけれど、テレビもついていないし、ほかに誰もいない。
足元を見ると、
三毛猫がこちらを見つめている。
まさか。いやいや……そんなはずはない。
その後も、朝食のあいだに猫が話しかけてきたり、キャットフードをねだったりと、私の“普通”だったはずの世界が少しずつ揺れはじめた。
そして彼女――三毛猫は、こう言った。
「私が人間の言葉を喋ってるんじゃなくて、あなたが猫の言葉がわかるようになったのよ」
そう言い残し、猫はリビングから外へと姿を消した。
「待って、どこへ行くの――?」
あの日、私はまったく予想していなかった。
でも、あの日からすべてが変わったのだ。
そう、私の“運命”が動きはじめたのは、あの日からだった――




