9
朝、灰色の雲を引き裂くように隊列は進み始めた。けれども、昼前にはすぐ立ち止まることになった。
街道の先に、分厚い緑色の“壁”ができていたのだ。くねった蔦が何重にも絡まり合い、街道を完璧にふさいでいた。
「……なに、あれ」
美咲は荷馬車の端から首を伸ばし、思わずつぶやいた。
「植物の魔物だな」
通りかかった騎士が答えてくれた。
「本体は森の中に潜んでる。これは触手の一部だな」
前の方で騎士たちが蔓を取り除こうと頑張っていたが、結構な時間が経っても馬車が進むことはなかった。
前方で喧騒が起きた。森から、二足で歩く魔物が現れたのだ。
緑がかった外殻、いかにも固そうな身体。
騎士たちが馬から飛び降り、剣を抜いて一斉に襲いかかる。
美咲はとっさに、荷の隙間に身を隠した。初めて見る生きた魔物だった。
(うわ……こわ……)
荷馬車の奥で、セリオスがうるさくさわぐ。
『俺が斬りたい!俺が倒す!』
(だめだって!あんなの近づけない!私たちがでていっても、討伐の邪魔になるだけだよ。)
騎士たちが倒した魔物は、動かないまま街道の脇に転がされた。
「どうやら、この魔物も蔓のせいで巣に帰れなくて出てきたみたいだな。この街道にこんな大きな魔物が出るなんて聞いたことない」
文官が言った。
「帰れなくなった」という単語が美咲の胸を打つ。
帰れなくなって、人に出会ってしまい、殺された魔物。
思わず魔物に近づこうとした美咲だが、先頭の馬車から王子たちが降りてくるのが見え足を止める。
騎士の何人かが街道を見渡し、焚き火の場所を決めはじめる。
今夜は野営だ。
*****
「この蔦は剣じゃ斬れない。切ってもすぐに新しい蔓が生えてきてあっという間に元通りだ」
「明日、森に入って本体を探すことになったぞ」
そんな声が飛び交う中、文官たちには厳しい現実が待っていた。
温かい食事は、王子たちだけ。美咲たちの手に渡ったのは、固い黒パンと、さらに固い干し肉だった。
「なにこれ、凶器?」
一口かじってすぐ諦めた。ポーチからセリオスを取り出し、小さく刻んで口に運ぶ。全然飲み込めない。口の中の水分が持っていかれる。
英気を養うための食事に、体力と気力が持っていかれるようだった。
周囲を見ると、警戒を強めた騎士たちが文官たちと同じものを手にしていた。
美咲たちだけが冷遇されているわけではない。これが普通なのだ。頑張って口と手を動かす。
急遽野営となって、大変なのは騎士も同じなのだ。
いや、また魔物が出てくるかもしれないと、交代で警備をしている騎士のほうが大変だろう。
美咲は、あの騎士の姿を探していた。
(カイル……)
ふらふらと焚き火の周囲を歩いていると、ひとりの騎士が声をかけてくる。
「どうした、嬢ちゃん。何かようか?」
「え、あ、えっと……ヴェルトナーさんを……」
その騎士は笑って、焚き火を囲っている騎士団に向かって大声で叫んだ。
「おーい、ヒナタ・ミサキがカイル探してるぞー!」
「ちょっ! や、やめてくださいっ!」
いきなり名前を叫ばれて一気に騎士たちがこちらを見る。注目を浴びるのは苦手だった。
しかし、やはりこの騎士も文官である自分の名前を知っているのだ。
その場の騎士たちがくすくすと笑う中、カイルが干し肉をくわえながら現れた。
入れ替われるように、騎士が焚き火の方へ戻っていく。
「呼んだか?」
「う、うん……あの騎士さん、なんて名前?」
「グレン。騎士団でも、声の通りやすさは一番だな」
「グレンさん、ありがとうございました」
グレンは背中を向けて去りながら、片手をあげて応えてくれた。
「……あの魔物。どうするの?」
カイルに聞きたかったのは先ほどの魔物のことだった。
先ほどから、セリオスが蔓を切らせろ、魔物を切らせろとうるさいのだ。
蔓は騎士たちが対処している最中だろうが、魔物ならば切っても問題ないだろうか?
「レアモノでもないし、明日森の奥に埋めるつもりだが」
「じゃあ、ちょっとだけもらっていい?」
「構わんが、あれ硬いぞ。剣じゃ骨に刃が立たん」
カイルが、あんなものどうするんだ?という視線をミサキに向けてくる。
美咲はセリオスを取り出し、魔物に近づいた。
大きくて、がっしりしてるけど、これは知っている。厨房で見たことのある魔物。焼けばほろっとほぐれて、美味しかったはず。
シャキシャキシャキ――と、セリオスが喜ぶように肉を切り刻む。
『ふむ、そこそこの硬さ!』
塊肉を小さく切り、道端で拾って、先を尖らせた枝に刺していく。
即席の串焼きの完成だ。
「食べる?」
「……ああ。もらおう」
驚きながらも、受け取ってくれた。
焚き火であぶると、香ばしい匂いが立ち昇る。
今回の視察のためにと、ロイドが持たせてくれた塩を振って、かじると、外がぱりっとして、肉はジューシーで、ほろっとほぐれて、なにより温かくて、、、
美味しい――! と、なった。
やがて、他の騎士たちも集まってくる。カイルの後ろに数人。
「なあ、俺たちにも……」
「なんで私に言うの……って、そっか。剣じゃこの大きさに切るの難しいよね」
文官たちにも声をかけ、希望した人に肉を切り分ける。
騎士たちが森に入って串になる枝を拾ってきてくれた。セリオスが満足げに鳴っている。
街道に響く、串焼きの香りと、ちょっとした連帯感。
暗い森の中に、先ほどはなかった笑い声が響いた。