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王宮会計局の補佐官執務室には、今日も書類の山が積み上がっていた。
「休暇をひと月取るだと?」
会計補佐官のロルド=ヴィアスは、眉をぴくりと動かして書面を見つめた。
申請者の名前に目を落とす。
文官見習いのヒナタ・ミサキ。実直で計算は速く、言われたことはしっかりこなし、他者に対して気遣いもでき る。“よくできた新入り”という印象だ。
ただし、子供でも知ってることを知らない。ずいぶんと箱入りで育てられたのだろうという認識も併せて持っている。
「どこか、体調でも悪いのか?」
ミサキが王宮で働き出してから、休暇を取ったことはなかったはずだ。
「いえ、あの……少し、里帰りをしたくて」
目の前に立つ美咲は、制服の上着をきちんと着て直立していた。
「里帰りというと、確か出身地は……?」
「コレスタ南方領の、エルシュ村です」
「……エルシュ村」
「小さい村なので……王都に来るのも大変で、道に迷ったり、違う馬車に乗ってしまったり……」
「ほう、何日かかった?」
「十五日です。あ、普通は乗り合い馬車で十日くらいだそうです。私が馬車に不慣れで……」
ロルドはこめかみを押さえた。
そういえば、この娘は王宮内でもよく迷子になっていた。始めはの一か月は会計局から軍部へ書類を届けたっきり、会計局に一人で戻ってくることができなかったのだ。
この娘は所作に粗暴なところがなく、人当たりもよいため、王都付近の町でそこそこの教育を受けていたと思っていたのだが……田舎育ち故に、都会では当たり前のことを知らなかったということか。
辺境から王都へ向かうには、乗り合いの馬車も多いし、迷子になったとしても誰もが王都への行き方は知っている。親切な人に行き会えば、王都に来ることは可能であろう。
現にミサキは最後の方は親切な老婦人と一緒に馬車を乗り継ぎ、エルシュ村から王都に来たという。
ただし、逆はどうだろうか。
王都から十日以上かかる辺境の村への行き方を知っている人などそういない。
交通事情も悪いとなれば、このどこか抜けている新人が無事にエルシュ村にたどり着けるかどうか……
王都に戻ってくるときも、親切な人ばかりではない。
このまま休暇を与えて大丈夫か。思わず頭を抱えそうになったロルドだが、よいことを思い出す。
エルシュ村。最近どこかで聞いた名前だと思っていたが――
「今度、第一王子殿下が南方領の視察に出る予定だ。視察地にエルシュ村が含まれていたはずだ」
「……はい?」
「お前も同行しろ。視察団なら護衛もいるし、馬車も出る。仕事として行けば、出張扱いになる。手当も支給されるし、行き帰りの安全も確保できる」
「で、でも……私は見習いで……」
「見習いだからこそ、こういう機会に現地を見るのも勉強だ。視察団の事務要員は今、ぎりぎりの人数で編成している。計算が速くて細かい備品整理ができる者が、ひとりでも増えれば助かるだろう」
「……」
美咲は少し黙り、視線を落とした。
そういえば今月、下宿の家賃も払わなきゃいけない。セリオスのために買った専用ポーチ代も地味に出費になった。正直、少しでもお金が欲しかった。
「エルシュ村での王子の視察中は、休暇を取ればいい」
「わかりました。それなら……行きます」
ロルドの表情が少しだけ緩んだ。
「よし。よく決断したな。ああ、それと」
「はい?」
「……護衛の兵士にはあまり近づくな。あいつらは、文官を馬鹿にしているところがある。頭の使えない脳筋のクセに」
随分と軍部の悪口を言うなあと思ったが、そういえば直近行われた会議で軍部と激しくやり合ったと言っていた。
ミサキは頭を軽く下げた。
「善処します」
素直なミサキに満足したのか、気が済んだのか、ロイドは一度咳ばらいをしてから続けた。
「うん。まあでもあいつらは筋肉と騎士の誇りだけは持っている。一緒に行けば安心だろう」
小さく笑って、今度は深く頭を下げる。
こうして「休暇」は、「王子の視察団への同行出張」に姿を変えて幕を開けたのだった。