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聖剣セリオスがハサミになって激怒してから数か月――
美咲は異世界の王都にいた。
いや、正確には――王宮の”厨房裏”にいた。
「……なんであたし、文官見習いなのにジャガイモの皮をむいてるんだろうか」
文官として支給された制服の上にエプロンをつけた美咲は、桶いっぱいのジャガイモを前にしゃがみ込みながらため息をついた。
手に持っているのは、もちろん例のハサミ。
通称:セリオス(調理モード)。
『我は聖剣セリオス……断罪の刃にして、血の審判を下す者……』
「ちょっと静かにして。指切りたくないの」
ハサミの形状で丸いものの皮をむくのは大変だ。
自称聖剣というだけあって、切れ味は抜群で刃を当てるだけでするする剥けるのだが、その分自分の手を切らないように注意する必要がある。
カーブに合わせて、うまく指に添わせる必要があるのだ。
始めは、セリオスの切れ味が怖くて皮を分厚めに切るしかなく、ずいぶんとジャガイモのを無駄にしたものだ。
こっちの都合で手伝いをさせてもらっているのに、これでは厨房の担当者にも、税金を納めている国民にも申し訳ないと美咲は頑張った。
厨房の人たちは、手伝ってくれるだけで助かる。いつか上手になるさと笑いながら肩を叩いてくれたし、自分の包丁を貸してくれようとした人もいた。
『このような仕事は断じて聖剣の業にあらずッ!何が皮むきだ、貴様はこの我を何だと――』
「はいはい、聖剣様が紙なんて切りたくない、他の物を切りたいって騒いだんでしょう。だからこうしてわざわざ切れるものを探しに来てるんだから」
『我は、切りたいと言ったのだ。これは“剥く”ではないか。かつて我をこのような使い方をした勇者はおらんかった。何たる屈辱……』
「まあ、最初から大物は切らせてもらえないって。そもそも厨房採用じゃないのに、こうして仕事をもらえるだけありがたいと思わないと。まあ、でもハサミってジャガイモの皮むきには適してないよね。
……あ、やっぱこのへんの芽、ハサミだと取りづらい。こっちの刃の方がいいか」
結局行きついたのは、ハサミを二つにわけ、ナイフのようにして皮をむく方法だった。
洗いやすいように、分解できるようになっているキッチンバサミならではの機能だ。
ただし、包丁のように角張った刃の部分がないため、ジャガイモの芽が取りずらい。
そこで、試しに缶をてこの原理で開けられるようについているでっぱりを当ててみたら、、案外いけた。
『お、おぉ……? ……ほう、今のは……うむ、確かに……滑らかに芽がとれたな』
セリオスもまんざらではなさそうな声色を出す。
厨房の奥から顔を出した見習いコックの少年・コティが、バケツを指差した。
「それもお願い! ゴブリンの爪、貝殻みたいに硬くてさー、包丁だと無理なんだよ」
「了解。セリオス、いくよ」
『またか!なぜ魔物の死骸なんぞ、切らねばならぬ……ぉおお……この硬さ……この抵抗感……たまらん……!』
厨房の空気がふっと変わった。シェフたちが目を見張る。
「すげぇ……ハサミであの殻を……?」
「マジか……なんでも切れるじゃん、それ……」
「えっ、もしかして神具じゃね?」
美咲はニッコリ笑って、返す。
「ただの……キッチンばさみです」
『はさみと言うなあああああああああ!!!!!』
その日の夜。
「……おかしい。全てが狂っておる」
いつものように、聖剣から漏れる呻き声。
「我は人間の血と罪を斬る聖剣。それなのに、厨房でジャガイモとゴブリンと……野菜スープを作るための……なんだ、この……拍手と称賛……うむ……うむむ……」
美咲はその声に、布団をかぶって笑いをこらえた。
「セリオスさ、今日ちょっと楽しそうだったよね?」
『そんなことは無い! ……だが、確かに……拍手を受けるのは、悪くは……なかった……』
こうして、美咲は「勇者」としてではなく、「下働き見習い文官(時々、調理係)」として異世界生活を始めた。
彼女のハサミが、伝説の聖剣だと知る者は、まだ誰もいない。
「セリオス、水で洗うから我慢してね~」
『つめたっ!? やめっ、冷水やめろッ!! 刃こぼれする!!』
美咲とセリオスの、のんきでちょっと物騒な異世界ライフは、こうして幕を開けたのだった――。