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リシェル・アグラスは、もう何年も屋敷から出ていなかった。

出たくても、出られないのだ。


部屋の中央には、黒鉄色に光る髪が、とぐろを巻いていた。

蛇の巣のように何重にも折り重なり、触れると金属のような冷たさと硬さがある。

この髪は呪いだと、みんなは言う。

切ろうにも普通の刃では通らない。

伸びるたびに重くなり、今では髪の塊を両腕で抱えなければ、一歩も進めないほとであった。


父——この村の領主セオドル——はリシェルを案じてくれている。だが領地の仕事に追われ、彼女の部屋に来ることは滅多にない。

母親は幼い頃に亡くなり、彼女はひとりでこの髪と生きてきた。


村人たちは「呪いなんて気にしない」と言ってくれる。

それでも、リシェルのそばに立つとき、彼らの体がわずかにこわばるのを知っている。

この髪から漂う魔の気配は、彼女自身ですら息苦しいほどなのだから。


そんなある日、部屋の扉の向こうがざわめきに包まれた。

廊下を走る足音。そして、父の声がした。


「勇者だ!聖剣を持つ勇者が村に現れた」


叫びながらこちらに向かっているようだ。


勇者?

遠い物語の中の存在が、なぜこの辺境に現れたのか?


やがて扉が開き、父は子を見る。

その目には希望が宿っていた。


「リシェル。勇者の剣なら、この髪も断てるかもしれん」

そう言って、父は勇者に会ってほしいと言った。

村人以外の人に会うのは久しぶりだった。

小さい頃は、この髪をどうにかできる人がいるのではと、各地から理髪師や魔法師を呼び寄せたし、こちらから会いにも行った。

しかし、いつしか希望は絶望に変わり、誰にも会うことなく、重い髪をかかえて歩くことも億劫になり、屋敷から出ることもなくなった。



リシェルが想像していたのは、大柄で屈強な男だった。

厚い胸板、肩に担がれた巨大な剣。

だが部屋に現れたのは


「……女の子?」


ふわりとした髪の毛、服は少し大きいようではあるが、村人と同じ動きやすいワンピースを着た少女だった。

勇者には見えない。



「これが、勇者の剣……らしいよ」


少女——美咲は、気まずそうに笑った。


「一応、本人は切れるって言ってるし……いけるとは思う。ただ、人の髪を切ったことはないから、オシャレにできるかは自信ないけど」


恐る恐る近づいてきた美咲は、何のためらいもなく呪われた髪に手を伸ばした。


リシェルは驚いた。


この髪の呪気は、メイドですら触るのをためらわせる。

けれども彼女の指は温かく、柔らかく、普通の髪に触れるかのように私の鉄の髪を撫でていた。


そして——

「じゃ、いくよ」

軽い声と共に、鋼を裂くような音が響く。

まずは試しにと、毛先を少し切ったようだった。


サクッ、サクッ、サクッ。


夢のように軽やかに、髪が切り落とされていく。

呪いの塊が次々と床へ落ち、体が軽くなる。

膝の上から髪が消え、ついに——立ち上がったリシェルの髪は地面につかなくなっていた。


「……! 軽い……」


父も、メイドも、目を見開いて喜んでいる。

美咲はというと


「あ、案外いけるね」


笑って、さらに聞いてきた。


「で、どこまで切る?」


常識的には、貴族の娘の髪は腰の長さが普通。

だが気づけば叫んでいた。


「肩より短く!」


美咲はにっこり笑い、「了解」と答えた。


髪が肩でさらりと揺れた瞬間、リシェルは十年分の鎖を断ち切ったような気がした。


その後、久しぶりに外に出た。

太陽の光が肩に当たり、軽くなった髪が風に踊る。

その日は、美咲と二人で、村の隅々まで歩き回った。


——あの日が、リシェルの人生が変わった日だった。



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