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翌朝、淡い朝靄が晴れるころ、一行は再び街道を進みはじめた。
「……あれ?」
先頭の馬車を引いていた騎士が手綱を引き、道を見つめる。
その声に、後続の馬車も止まり、隊全体がざわめいた。
「壁が壊されている……」
「剣で切れるようなものじゃなかったよな?」
「切断面が焦げてる……魔導士がやったのか?」
「夜のうちに、凄腕の剣士でも通ったのか?」
蔓の残骸が、街道に横たわっている。
切断面には、黒く焼け焦げたような跡。
剣士か魔導士か、——誰の仕業か分からず、騎士たちがざわざわと騒ぐ。
王子達は驚きつつも、千切蔓草が他にも生えていないか等の調査を王宮に依頼するよう手配しているようだった。
「とにかく、先へ進むぞ」
王子の一声で、騎士たちは残された蔓を手際よく脇へと運び、街道を確保した。
行軍は、昨日までよりもやや速いペースで再開された。
馬車の揺れが強く、最後尾の荷馬車では、美咲の体が小刻みに跳ねる。
「う……お尻が痛い……」
思わずつぶやいた声に、隣の文官がくすっと笑う。
「はは、慣れないとね。でももうすぐでしょう、君の“故郷”。」
「……え?」
「エルシュ村でしょう?里帰りだってロルド補佐官が言ってたから。どんな村なの?」
美咲の表情が、一瞬だけこわばる。
胸の奥に、小さな波が立つ。
(エルシュ村……)
──そう、美咲の出身はエルシュ村ということになっている。
王宮で働くために、推薦状をもらうには出身地の記載が必要であった。
エルシュ村の領主は、この世界に出身地の無い美咲に恩義があり、エルシュ村を出身地としてくれたのだった。
でも、たしかに彼女が初めて異世界に来てから最初に降り立った場所であり、美咲を温かく迎えてくれた場所でもあった。
美咲の脳裏に浮かぶのは、草の匂いと、冷たい井戸水の感触。
傾いた木柵の家並み。
村に滞在したのは一ヵ月もなかった。
村の名前を借りただけだった。
でも、何も持たない美咲が唯一持つ繋がりなのだ。
「……のどかな村だよ。人は少ないけど、いい人が多いの」
「へぇ、いいねぇ、そういう場所。疲れたら、帰れる場所があるって」
文官はそう言って、また馬車の揺れに身を任せた。
(……帰れる場所、か)
心のどこかに刺さるその言葉を、美咲は胸の奥に押し込む。
美咲が本当に帰りたい場所はエルシュ村ではないのだけれど、美咲も何も言わずに馬車の揺れを感じながら目と口を閉じることを選んだ。
♦
白銀の空間でセリオスと出会ったあと、気がつくと美咲は見知らぬ場所に立っていた。
石造りの広間。まるで神殿か、祭壇のような荘厳な雰囲気。
高い天井を支える柱には、古びたヒビが走り、あちこちに何かがぶつかったような跡があった。
けれど、人の気配はどこにもない。
冷えた空気と、微かに漂う苔の匂いだけが、静けさの中に染み込んでいた。
手にしていた銀のハサミ——セリオスが、小さく声を発した。
『この空間を出よう』
「え……どうやって?」
『我れ……いや、俺が案内してやろう』
「いま、言い直した?」
『あれは、雰囲気を出すためのものだ……細かいことを気にするな』
(いや、気になるでしょ……)
肩の力が抜けた。知らない世界のはずなのに、セリオスのとぼけた調子が少しだけ心を軽くする。
広間の奥に、重厚な扉があった。
両手で押すと、ギィ、と鈍い音を立てて開き——そこには、洞窟が広がっていた。
(え、外じゃないの?)
足元の岩を踏みしめながら、狭い通路を進む。冷たい風が頬を撫で、ローファー越しに伝わる地面の硬さに、思わず泣きたくなった。
(なんで制服のまま、こんなとこ歩かなきゃいけないの……)
岩壁が崩れはじめたところで、やっと洞窟の出口が見えた。
差し込む光をくぐり抜けると、深い森が広がっていた。
約一時間ほど歩いた。
足は棒のようになり、ローファーの中はもう最悪だった。
けれども”最悪”はそこで終わらなかった。美咲を待っていたのは、思ってもみなかった光景だった。
道なりに開けた、人里。
見たことのない建物。土と木でできた家々。空を舞う煙突の白い煙。
まるで、中世ヨーロッパの絵本の世界のようだった。
「うそ……何これ……」
夢を見ているようだった。
しかし、草の匂いも、土の感触も、空気の冷たさも、ぜんぶ現実のものだった。
村の中へと、セリオスに導かれるままに進むと牛がいた。
木の柵に囲まれ、のんびりと草を食んでいる。
いや、牛と呼んでよいのだろうか。角が4本ある。
ここまでくると、何となく美咲も理解していた。いま美咲がいる場所は、さっきまで当たり前に暮らしていた世界とは違うのではないかと。
先へ進むと、畑に出た。
なぜ、先に進めたのかわからない。限界まで歩いた足と、耳の奥でなる心臓の鼓動。喉を絞られるような息苦しさ。
それらを抱えながら、美咲は先へ進んだ。ここで止まってしまったら、もう二度と歩けないような気がしたのだ。
牧草地を超えると畑になった。
鍬を振るっていた、日焼けした老人が、美咲に気づいて顔を上げた。
美咲は、制服姿にセリオスを握りしめたままという、明らかに場違いな格好だったのに、老人は、にっこりと笑って言った。
「ほう、これは珍しい客人だな。……まあ、うちに来なさい。足が疲れたろう」
驚いているうちに、背中を押され、連れて行かれた。
古いけれど、温かい家。
中には優しそうなおばあさんがいて、湯気の立つお茶を差し出してくれた。
その晩、美咲は、この世界が「自分の知る世界ではない」ことを、改めて実感する。
どうやらこの世界には、時々異世界から落ちてくる人がいるらしい。彼らのことを”落ち人”と呼ぶらしい。
老人は語る。「神のいたずらか、運命の流れかは分からんが、まあ……生きてさえいれば、どうとでもなる」と。
そんなことを言われても、これからどうすればいいのだろうか。
とりあえず美咲は、元の世界で買って、先ほどセリオスが真っ二つに切ったフランスパンを2人に差し出した。
「これ、食べませんか?」
目の前の人の温かさと、湯気立つお茶の香りが、心の芯に少しずつ染みていった。




