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森の奥から帰還した騎士たちは、疲労の色を隠せなかった。
「本体は討ち取った。だが……」
街道を覆う蔓は、いまだにそこにあった。
よく見れば、蔓の節々から細く白い根が地面に伸びている。まるでこの地に新たに根を張り、別の命として独立したかのように。
「斬っても、また生えてくる……」
「火で焼くか?」
「この距離で火を使えば、風向き次第で取り返しがつかなくなる」
街道の左右には森が広がっている。
蔓は左右の森の中にも続いているのだ。
うまく街道の部分だけを焼くことは難しいだろう。火のついた蔓が暴れて、森林火災を引き起こしたら、被害が拡大する。
魔導士ザハルは呟いた。
「魔法植物には詳しくないのですが、これは千切蔓草かもしれませんね。本体を倒すと分裂して延命を図る性質がある」
王子が険しい顔で答える。
「もう少し早く教えてほしかった」
「一度図鑑で見ただけですので、自信はないですが。この植物は毒があるわけでも、人を捕食するわけでもないので、基本的は無害なんですよ。今回はたまたま、この植物の成長が人間にとって迷惑な場所で行われたというだけで……」
「対処方法はあるのか?」
「どうでしたかね?魔導院にいる、植物に詳しい魔術師なら知ってそうな気はしますが……。何年か前も、同じようにどこかの村の近くの街道に生えてきたことがあって、確か魔導院で対処した記憶があります。魔導院に話が上がってくるまでは、その道は使えず、迂回していたようです。今回も迂回することはできますが……」
「王国魔動員、騎士、そして王子がいて、迂回というのは格好つかない気がするが……明日の朝も粘って解決しなければ、この道の対処は王宮に任せ、私たちも迂回するしかないだろうな」
この2日間でも、何組かの商人や旅人たちとすれ違ったのだ。
王子達の胸の高さまである壁は、徒歩の者たちはよじ登り越えていったが、馬車で街道を通ろうとした者たちは、早々に迂回という決断をしていた。
一つ前の町で、蔓の話を聞かなかったということは、この蔓はここ数日で生えたのだろう。
その証拠に、すでにこの街道は封鎖されていると前後の町で共有されたのか、今日は通行人が少なかった。街道が通れるようになったか様子を見に来る人や、そもそも蔓を超えていこうとする人たちだけであった。
「お前の魔法で、街道の部分だけを、焼いたり凍らせたりすることはできないのか?」
レオンがザハルに尋ねる。
「私は研究がメインの魔導士なので、実践は得意じゃないんですよねぇ。しかも、私が得意なのは、王子も知っての通り、封印魔術。私がどうにかするより、王都から、魔法植物の研究者を呼んできた方が早いと覆いますよ。本体は討伐したので、これ以上横には伸びないはずです。下手に刺激し続けると、蔓が攻撃態勢に入るという事例も聞いたことがありますし……」
「おい、それを早くいえ」
その時、蔓のそばにいた騎士達が声を上げた
「うわっ…なんだ、急に攻撃してきたぞ」
進退きわまった。
その夜、隊は街道から少し離れた小高い丘に野営を張った。誰も口には出さないが先の見えない行軍に、疲労と焦りが広がっていた。
ミサキもまた、支給された干し肉とパンを手にしていたが、今夜は食欲が湧かなかった。
文官の皆が寝静まったのを確認し、そっと荷台を抜けだす。
セリオスがかすかに震える。
『行くか?』
「うん。少しだけ。眠れなくて」
返事の代わりに、セリオスが軽く震えた。
街道の蔓の壁は、昼間よりも静かだった。だが、油断はできない。
(私が通れるようにできたら……)
「セリオス、なにか、方法はないかな?」
しばしの沈黙の後、普段なら「斬れ」「切らせろ」としか言わないセリオスが、言葉を選ぶようにして告げる。
『まず、根を絶つ。蔓の魔力の流れは地面から来ている。地脈とのつながりを断てば、再生が止まる可能性がある』
地面にしゃがみこみ、セリオスの刃を突き立てた。
シャキン――、蔓の根を切り裂いていく。
しかし、数歩進むごとに、蔓が新たに現れる。
『今度は、断った場所を焼け。断罪の炎を使う』
「え、燃やしたら……」
『俺の炎は〈断罪〉だ。罪なきものは燃やさぬ。森も、風も、焼かない。ただ、罪を帯びた命だけを焦がす』
「この植物は罪を犯したの?」
『罪とは正義が形を変えた影にすぎぬ』
言葉の意味はよく分からなかったが、美咲は深く息を吐き、頷いた。
「お願い、セリオス」
黒い炎がセリオスの刃に宿る。闇夜の中で、妖しくも静かな焔が揺れた。
焼き切られた蔓はそこから延焼することはなく、また、再生もせず力を失ったようにしおれていく。
この方法で、街道の端、森との境のあたりの蔓を左右とも切り焼いていく。
「……できた」
道には、山積みになった蔓が力なく横たわっていた。
蔓は、その長さの分、重みがあり美咲一人で端に寄せることは無理そうだった。
あきらめて、このままにしておくことにする。明日、騎士の人たちがどうにかしてくれるだろう。美咲ができるのはここまでだ。
満足して、野営地に戻る。足音が背後から響いた。
振り返ると、金色の髪を揺らす若者がそこにいた。
レオンだ。
肩まで伸びた髪に夜露が光る。冷たくも、どこか火を宿したような、不思議な目。
美咲は目を見開いたまま、一礼した。
「……失礼しました」
「君は……見習い文官の……」
一瞬、記憶をたどるような仕草した。
「見習い文官の日向美咲です」
ちなみに、こちら世界では、名前・苗字の順で名乗るのを知らず
初手で日本式で名乗ってしまったため、こちらでの書類はすべてヒナタ・ミサキとして登録されている。
気づいた時には、もう王宮で働くために必要な書類等も完成していたため、まあいっかとそのままにしているのである。
そのため、周囲の美咲の家名を呼んでいるつもりでも、美咲にとってはいきなり下の名を呼び捨てで呼ばれるという状況になってしまうのだ。
なので
「そうか。ミサキ、何か困っていることはあるか?」
と、こういうときめきシーンが起こってしまうこともある。
イケメン王子に下の名前を呼ばれるなんて、ゲームの中だけのイベントかと思ってた。
危ない危ない。王子の破壊力ってヤバイ。
会計局の同僚や、騎士たちに呼ばれてもなんとも思わなかったが、やはり王子は一味違う。
だがしかし、王子は家名を呼んでいるつもりなのである。
なので、王子にとっては、一部下の心配をしているのに過ぎないのだ。
こうして、声をかけてくれるということは、今回のメンバー唯一の女性として、少し気にかけてくれているのかもしれないが。
「大丈夫です。野営でも、私個人用のテントを用意してくれたりと、皆さん気にかけてくれてますし」
困っていることはありません。とアピールする。
「そうか。2日も野営になってすまないな」
元の行程では、宿場で止まるよう調整されていたから、野営用のテントは、全員分は用意されていなかった。王子のほかは、野営に慣れていない文官を中心にテントを使わせてもらっており、騎士たちは2日連続で、野宿をしている状態なのだ。
「運が良いことに、晴れていますしね。星空がきれいなので、たまにはこういうのもよいですね」
王子を批判しないように、当たり障りなく返しておく。ご飯が硬くて困っていますなんて文句、口が裂けても言えない。
「では……」
高校の廊下を歩いていて、校長とすれ違いざまにいきなり世間話をふられた時の気持ちで丁寧に、応答していく。
王宮で働いてはいるものの、王族への礼儀作法なんて全くわからないので。
美咲が知っている限りの偉い人への対応をぎこちなくこなしていく。笑顔だって3割ましだ。
*****
レオンが美咲が会釈をしながら、去っていく姿を見送っているとザハルが声を変えてきた。
「彼女は……」
「文官見習いだよ。会計局が急遽人員を増員したんだ。女性だと知るのが遅かったせいで、女性騎士を連れてくる編成に還ることができなかった。周りが男だらけで、苦労しているかもしれないと思ったが、愛想笑いで躱されてしまったよ」
レオンが肩をすくめる。
「騎士ならともかく、文官……それも見習いが王族と話す機会なんてないですからね。王子を前に、緊張せず、愛想笑いができるなんて、肝が据わっている方だとおもいますよ」
「そういうものかな?」
「気になるのが、彼女野営地から離れてましたよね?遠くから、戻ってくるのを見ましたよ。こんな夜遅くに何をしていたのでしょうか?」
野営中に、文官が一団から離れてすることはないように思える。
レオンは、もう一度肩をすくめた。
「ザハルは魔術以外も勉強した方がいいな。ここには用を足すところがないだろう?」
用?とザハルは首をかしげて、ああ、、となる。
自分を含め、男たちは森の陰に隠れ、いくらでも行えるが、女性はそうはいかないだろう。どうしているかなど、想像するのもはしたない。
ザハルは咳ばらいをして、ごまかすと本来レオンにしたかった話をごまかすように切り出した。
「夕方街道を通った商人に聞きましたが、4日前はこの街道には何もなかったとのことです」
まじめな話に、レオンの顔つきも変わる。
「ということは、一日で街道を横断するほど伸びたということです。それも、一本でなく壁になるほど大量に」
レオンは、ザハルの目を見ながらうなづく。
「この成長速度は異常です。やはり……聖剣セリオスは目覚めていると考えるべきかと」
この世が混乱に陥るとき、聖剣セリオスは断罪の刃を振るう。
平和な時代、聖剣は眠りにつく。
セリオスが目覚めたということは、この泰平が崩れる予兆でもあるのだ。
目に見えないだけで、世界の崩壊は始まっているのかもしれない。
「それを、確かめるためにも一刻も早く、確かめに行かなければならない」
レオンの瞳が、闇の向こうを見据えた。
焚き火の炎が、彼の目の奥に宿る信念と覚悟を浮かび上がらせていた。
こうして美咲とセリオスの行動は、男たちの深読みした配慮により、明るみにならなかったのである。




