第4話
家に着き、自転車のハンドルを付け替えていると、裏庭から姉の声が聞こえてきた。
僕は家の陰に隠れて裏を覗いた。姉はどうやら誰かに電話をしているようだった。耳を澄ますと、姉は泣いていた。僕は何を話しているのか聞き取ろうとして無理な態勢になり、倒れこむように前に出ていってしまった。
僕を見た姉が急いで電話を切って涙を拭った。
「何してんのよ」
姉が怒ったように言った。
「自転車の修理」
「ふーん」
「まただ」
「何がまたなのよ」
「今日バイトの女の子にも言われた」
「何を?」
「ふーん」
「その子、確実にあんたに興味ゼロだね」
「え、そうなの?」
「だってあたしもだから」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。ひどい言い草じゃないか。ショックを受けている僕に気づかないのか、姉は家に入っていってしまった。
――興味ゼロって・・・・・・。
僕は自転車の曲がったハンドルを見つめながら、もうそれを直す気にもなれず、その場に長い時間佇んでいた。
布団に入ってからも全く眠れなかった。
眠れなくても朝は来る。
自転車がないとこんなに遠いのかというぐらい遠い距離を、てくてくと歩いた。
気持ちを上げる為に、SUPERBEAVERの『幸せのために生きているだけさ』を大音量で聴きながら歩いた。
音楽はいい。いつも僕の心を支えてくれる。
僕は歌詞を一番大事にしている。もちろんメロディも重要なのだが、一番は『言葉』だ。
音楽を聴きながら、僕も幸せになりたいと呟いてみた。
コンビニに着き、制服に着替え、いつものように店内に入っていくと、鈴木さんがいた。
僕は書籍の補充をしながら、目の端で鈴木さんを追った。
今日も可愛い鈴木さん。だけど僕には興味ゼロ。
頭に白いタオルを巻いた作業着の男がレジの前に立っていることに気づき、僕は鈴木さんを目で追うことを止めカウンターの中に入った。
「150円が二点、98円が一点、398円になります」
男が千円札を差し出した。僕は、お釣りの小銭を取ろうとした。その瞬間、鈴木さんが僕の背中にぶつかり、床に小銭が散らばった。僕は慌てて床に這いつくばって小銭を拾った。
「すみません」
頭上で鈴木さんの声がした。
「大丈夫ですよ」
僕は笑顔で鈴木さんを見上げた。鈴木さんが真顔で僕を見ている。そして、
「ここ、怒るとこですよ」
と鈴木さんは呆れたように言い、レジカウンターから出て行ってしまった。
僕の何が鈴木さんを苛立たせているのだろう?
今まで通用していた対応が、全て上手くいかない。
その時、外で大きなバイク音が鳴り響いた。
僕は、店の外を見に行った。すると、暴走族が店の駐車場に溜まっていた。ここ数年で、不良というものはかなりいなくなっていたはずなのに。今の若者たちは、TikTokやYouTubeで忙しく、グレてる暇はないと安心していたのに。
僕の隣に木崎くんがきて言った。
「ビシッと言ってやってくださいよ」
そう言いながら、僕の背中をぐいぐいと前に押してきた。
「え、僕が」
「だって店長でしょ」
「こんな時だけ・・・・・・」
「じゃあ、あとよろしく」
木崎くんがそそくさと逃げるように店内に入っていった。
――要領のいい奴。羨ましい。
僕は木崎くんを見るつもりで、店内を振り返ると、こちらを見ている鈴木さんと目が合ってしまった。
『ここ、怒るとこですよ』
さっき言われた言葉が蘇る。
僕は鈴木さんの言葉に背中を押され、暴走族に向かって歩いていった。
気がつくと、僕は地べたで土下座をしていた。
そう、勢いよく行ったものの、暴走族を前にした瞬間、言葉を失い、逃げようとしたが既に遅かった。服を掴まれ、小突き回され、足で蹴られた。
暴力とは縁のない生活を送っていた僕は、一発殴られた途端、頭の中が真っ白になり、土下座ですむのならそれでいいと思った。そして、いつものようにヘラヘラと笑い続けている。
「こいつ笑ってんぞ」
「キモー」
「お前人生やめたくなんね」
暴走族達が口々に僕を罵りながら、馬鹿にして笑った。
僕も一緒に笑った。
「笑ってんじゃねーよ」
暴走族の中の一人が、僕の背中を蹴った。
一つの躊躇もなく行われる暴力の連鎖に、僕は為す術もなく、ただただ笑い続けた。いつか終わる、いつか終わると心の中で思いながら。
その時、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
「やべ。行くぞ」
暴走族達が慌ててバイクに乗って去っていった。
僕はコンビニの駐車場の真ん中で、一人取り残され、土下座をしている。
少しずつ大きくなってくるサイレンの音が、僕を現実に戻していった。
店内から鈴木さんが出てきた。
「大丈夫ですか」
僕は、恥ずかしい姿を見られたことを誤魔化そうとして、鈴木さんに笑いかけた。
「へへ。笑ってたらなんとかなる。これ僕のモットー」
鈴木さんの表情が一瞬で変わった。
「そうやって笑ってりゃなんとかなる的な考え、見てて苛々します」
低い声でそう言うと、鈴木さんは僕を一切視界にいれず、スタスタと店内に戻っていってしまった。
僕は立ち上がれなくなった。
――人生やめたい。
それからの僕は、警察に事情を話したり、商品を補充したりして、なるべく鈴木さんと接触しないようにして一日をやり過ごした。
仕事が終わり、誰にも聞こえない挨拶をして、僕はコンビニをあとにした。
田圃道を重い足取りで歩いていると、少し前を歩く木崎と鈴木さんの姿に気づいた。
僕は歩調をゆっくりにして、絶対二人に追いつかないようにスピードを調節しながら歩いた。
二人との距離が少しずつ広がっていく。
僕は立ち止まった。そして、遠くなっていく二人の後ろ姿をじっと見つめた。
――いつもの事だと思えばいい。きっと彼女にも当たられてるんだ。こんなのは慣れっこだ。
鈴木さんの笑い声が聞こえてきた。耳を塞ぎたくなる衝動に駆られたが、耐えた。
――大丈夫。僕には漫画がある。
気を取り直して、僕は歩き出した。
つづく