第3話
翌日、早番だった僕は、まだ陽も差していない暗闇の中、歩いてコンビニに来ていた。
昨日、ハンドルが曲がってしまったので、自転車は家に置いてきた。だから少しだけ早起きをしないといけなかった。
眠たい目を擦り擦り、僕はしゃがんでパンを棚に並べていた。
「おはようございます」
女の子の声が頭上から降ってきた。
見上げると、可愛い女の子が僕を見下ろし立っていた。
――僕の漫画の中の女の子にそっくりだ。
「店長さんですよね」
ぼんやりと見上げている僕に、女の子が話しかけてきた。
「あ、はい」
僕は慌てて立ち上がった。女の子は背が高く、立ち上がったはずの僕をまだ見下ろしている。
「今日からバイトで入った鈴木凛です」
バイト?
「え、僕面接してないけど」
僕が不思議そうに言うと、鈴木さんは、「木崎くんが」と言った。
「・・・・・・聞いてない」
僕が独り言のように呟くと、鈴木さんは苛立ったように、
「よくわからないけど、とにかく今日からなんで、よろしくお願いします」
と早口で言った。
つられて僕も、
「はい。よろしくお願いします」
と言ってしまった。
僕の言葉を聞いて安心したのか、鈴木さんから苛立ちの空気はなくなった。僕は何故か人を苛立たせてしまうのだ。
鈴木さんに、仕事を一通り説明し、制服に着替えてきてもらった。制服を着た鈴木さんは、やはり僕の漫画に出てくる女の子にそっくりだった。それにしても勝手に面接するなんて。
――完璧に木崎くんになめられてる僕。
レジカウンターでは、木崎くんが鈴木さんにレジの打ち方を教えている。
僕は、二人の背後で煙草を補充していた。
「昨日の講義、眠さハンパなかったよな」
「わかる。あたしもヤバかった」
「大学の授業ってさ、意味なくない」
「マジ。意味なし」
決して聞き耳を立てている訳ではない。勝手に聞こえてくるのだからしかたがない。と、僕は二人の会話を聞く権利を勝手にもらった。
「でも今時大学ぐらい出てないと、就職厳しいからな。しゃあなし行ってるって感じ」
――女子の前だからかっこつけてんな。
僕は心の中で木崎君に毒づいた。
「だよね」
鈴木さんが木崎くんに同意したことが、なぜだか不快に感じた。
「こんな田舎で高卒止まりじゃ、コンビニの店長がいいとこだし」
僕は思わず手に持っていた煙草を落としてしまった。鈴木さんがチラッと僕を見たような気がした。それでなのか、木崎くんが笑いを含んだ声で言った。
「あ、店長の事じゃないっすよ。だって店長は漫画家目指してるんすよね」
「あ、それは」
僕は慌てた。今日出会ったばかりの鈴木さんにはまだ知られたくなかった。
「漫画家目指してるんですか?」
鈴木さんが驚いたように訊いてきた。
「いや、そんな大したアレじゃないんだけど、一応というか、なんていうか」
「ふーん」
鈴木さんにふーんと言われて僕は焦った。鈴木さんから返ってくる反応が、自分が予想しているものと違いすぎて、全身の毛穴が全部開いたような焦りを感じていた。
「あ、今時夢を語る奴ってダサいよね。あ、今ダサいって死語使っちゃった?」
僕は自虐ネタを言うように早口で言ってから、鈴木さんにヘラヘラ笑いかけた。
「何ヘラヘラ笑ってるんですか」
まただ。また予想を外してくる。
「えっ、あの」
僕が言葉を見つけられずに棒立ちしていると、お客様が店内に入ってきた。
「いらっしゃいませー」
鈴木さんが大きな声で叫んだ。木崎くんが、気の毒そうに僕を見ている。僕は、無言で煙草を補充するしかなかった。
情けない僕。消えてしまいたい。
仕事が終わり、僕は重たい足を無理矢理前に出しながら、とぼとぼと田圃道を歩いていた。
夕陽が僕を責めているように感じながら。
僕が漫画家になりたいって事は、人から見たらふーんって言われるぐらいの事なんだ・・・・・・。
子供の頃からの夢を、どうして僕は自信を持って言えないんだろう。だって、なりたいは誰にでも言える。でもなれてない。そんな事を声高らかに発表出来る奴の気がしれない。
僕は、立ち止まって石を拾った。
『何ヘラヘラ笑ってるんですか』
鈴木さんの言葉が頭から離れてくれない。
僕は田圃に向かって石を投げた。
「笑ってちゃ駄目なんですかってんだ。怒ってるよりいいじゃないか。怒りたいのに笑うって難しいんだぞ。やってみろ」
虚しい。虚しすぎる。僕は誰に向かって話しているんだ。
力尽きて僕はその場に座り込んでしまった。目の前にいるのは蛙だけだった。僕は蛙に話しかけた。
「なあ、何でみんな僕には強く当たってもいいって思うのかな。結構痛いんだけどな」
蛙が逃げていった。
――蛙にまで逃げられる僕。
つづく