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第1話

 田圃晴天。青々と伸びた稲穂が、風にそよいでいる。早朝の名残りなのか、まだ外には冷たい空気が残っていた。


 僕は、稲穂の間をくぐりぬけるように自転車を漕いでいた。


 今日の僕の服装は、グレーのTシャツに履き古した濃青のGパン、そして大きなリュックを背負い、深々と黒のキャップをかぶっていた。若く見えるが二十七歳である。


 僕の頬を風がスイッと撫ぜた。本来なら心地よいはずなのに、僕は苦々しい表情でひとり呟いた。



 僕の人生は、当たられ続けて二十七年だ。




 田圃の真ん中にポツンと建っているコンビニの裏の駐輪場に、自転車を止めた。


 僕は早起きが苦手なのだが、店長なのでいたしかたない。人出が足りない早朝の穴埋めは、当然店長の仕事なのだ。僕は眠たい目を擦りながら、コンビニの従業員入口から店の中に入っていった。


 素早く制服に着替え、寝癖のついた髪を簡単に整え、店内に入るドアを押した。ドアは結構重い。


 夜勤の松本くんが、僕を見て嬉しそうな顔になった。嬉しそうな顔は、家に帰れるからだとわかっている。決して僕に会えたからとかではない。


 僕がレジカウンターの中に入ると、待ってましたとばかりに、松本くんが出て行った。


 おはようございます、だろ。と思ったが、僕は言えない。言ったことがない。




 カウンターにドンっとオニギリが置かれた。ぺちゃんこに潰れたオニギリ。僕はなんだか不思議なものを見ているような気持ちになって、しばらくぺちゃんこのオニギリを見つめていた。 



「どうしてくれるのよ!」



 女性の苛立った声がした。



 ーーああ、またか。



 うんざりした気持ちが見つからないようそっと心の奥底に隠し、僕は前を向いた。


 僕の目の前には、恰幅のいい体型の佐々木菊江が立っていた。睨みつけるような目を僕に向け、仁王立ちで立っている。仁王立ちという言葉がこれほど似合う人間はいないのではないだろうか。


 年はたぶん六十代後半ぐらいかとあたりをつけている。高級そうな服を着ているが、毎日同じ服で、なぜか靴はサンダルを履いている。ちぐはぐなスタイルに、僕の危険信号が点滅していた。



「どうしてくれるのよ!」



 聞こえなかったと思ったのか、菊江がもう一度声を荒げた。



「で、でもこれはお客様が」



 僕は一応の抵抗をしてみせた。



「あたしが太ってるからだっていうの!」


「いえ、そんな」


「手が滑って足が滑ってこうなっちゃったのは、あたしがこんな体型だからだっていうの!」



 菊江はいつも無茶苦茶な理論で責めてくる。これも毎日のルーティンみたいなものだと自分に言い聞かせ、「すみません」と即座に謝った。



「こんなすぐにぺちゃんこになるオニギリを売ってるあんたが悪いんじゃないの!」



 ここまでくると、僕はもう返す言葉をひとつも見つけられず、ヘラヘラと笑うしか術がなくなる。



「客を馬鹿にしてるの!」



 菊江が激高して、ヒステリックに叫んだ。



 ――ああもう、家に帰りたい。



 その時、バイトの木崎くんが駆け寄ってきた。これもルーティンの一つだ。


 木崎くんはオニギリが数個入っている袋をサッと菊枝に差し出し、満面の笑顔で言った。



「お客様、申し訳ございません。こちらの新しいオニギリをお持ち帰り下さい」



 木崎くんが白馬に乗った王子様に見えるのか、菊江は恥じらったように言った。



「あら、こんなにたくさん。いいのかしら」


「どうぞ、どうぞ」


「やっぱり若い子は素直でいいわよね」



 菊江が木崎くんに笑顔を見せたあと、僕に向かって「あんたも見習いなさいよ」と怖い顔で睨みつけてきた。


 僕は笑おうとしたけど、笑顔が固まってしまった。でも菊江は、そんな僕には一切興味がないのか、オニギリの袋を抱え、スキップするように店から出て行ってしまった。すかさず、木崎くんが大声で叫んだ。



「ありがとうございましたー」



 菊江が出て行った瞬間、木崎くんの顔が真顔に戻る。これも毎回僕は恐怖を覚える。人の裏表をまざまざと見せつけられるのは、恐怖以外の何物でもない。


 ぼんやりと立っている僕に、木崎くんがぺちゃんこのオニギリを押し付けてきた。



「あとよろしく」



 木崎くんは僕の返事を待つ気もないのか、別の持ち場に歩いていった。


 僕はペチャンコのおにぎりを悲しい気持ちで見つめた。溜息をついたあと、ポケットから小銭を出し、レジに入れた。木崎くんは絶対に払わない。




 その後夕方まで淡々と働き、バイトの佐藤さんが来たので、僕はまた自転車を漕いで家に向かった。


 気を抜くと、心が闇の中に堕ちていきそうなので、前かごにいれた携帯の音量を上げ、音楽を聴きながら自転車を漕ぎ続けた。


 前かごから流れてくるSUPERBEAVERの『小さな革命』を聴きながら、僕はひたすら自転車を漕いだ。




                   つづく

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