第8話:親子
お姉ちゃんの顔をしていたマルクトを倒した私は、葬儀場へと戻りお父さんと話をすることを決めていた。
式場から姿を消していたお父さんを探していると、スタッフからお手洗いに行っていると告げられたためトイレの前で待ち伏せする。今ここで話さなければいけないと私の直感が告げていた。
マルクトの消滅から3分も経たない内にお父さんはトイレから姿を現し、こちらを見て少し視線を逸らした。
「カンナか……」
「お父さん、話したい事があるの」
「……もうすぐ葬式だ。会場に戻れ」
「ダメ。今、ここで話したい」
お父さんの顔色は悪く、具合が悪そうだった。泡来さんの時は気を失っていたが、もしかするとそうなりそうなのを抑えて、トイレまで自力で来て休んでいたということだろうか。家族に対しても一度も弱い姿を見せたことがないこの人であれば、ありそうな事だった。
「聞かせてお父さん。お父さんは、お姉ちゃんのことどう思ってたの……?」
「……言ったはずだ。リコのことは忘れろ」
「今聞いてるのはこっちだよ」
「娘……それだけだ」
「……ずっと、疑問に思ってたことがあるの」
お姉ちゃんの顔をしたあのマルクトは、間違いなくお父さんが呼んだものだ。死神のような姿をして、全てを腐敗させながら進み続けるあの姿を見ていて、私の中である既視感が生まれていた。あの黒いフードを被った姿が、被って見えていたのだ。
お父さんは普段から黒い服を着ている。好き好んで着ているのかと今まで思っていたが、よく思い返してみると昔はそういった色合いの服は消えていなかったはずなのだ。
「お父さんは本当に、お姉ちゃんのこと忘れられるの?」
返事は帰って来なかった。
お父さんの目はこちらを見ようとせず、バツが悪そうに横へと逸れたままになった。いつもは私の意見を抑え込まんばかりの真っ直ぐな視線を向けるというのに、とても同じ人とは思えない様子だった。
「お前には……関係無い。戻るぞ」
「待って」
無理矢理戻ろうとするお父さんの前へと立ち塞がる。
「お願い。知りたいの」
「……」
「お祖母ちゃんのことも、お姉ちゃんも……忘れられるの?」
お父さんの目が少し泳ぐ。その直後、周囲を見渡すように視線を動かした。恐らく記憶が消えてしまったのだろう。
しかしそれでも今ここで止めるわけにはいかなかった。少なくともこの事だけはしっかり確認しておきたい。
「……ここで何をしてるんだカンナ。会場に戻れ」
「お父さん、お祖母ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「……それを聞いて何になる」
「納得出来る」
どうしてお父さんは普段から黒い服を着るようになったのか。どうしてそこまで冷たいのか。その答えはすぐそこにあるはずだ。
睨むように真っ直ぐ目を見つめる。いつもこの人がそうするように、逃さないように。
お父さんは溜息をつくと腕を組み、壁を背にしながら静かに語り始めた。
「……母さんは、親父を捨てた」
「え?」
「親父のやり方が気に食わなかったと言ってた。だから母さんは、俺を連れて親父の下から去った」
お父さんの話によると、神埜財閥の先代会長だったお祖父ちゃんは、グループを大きくするために様々な事に手を出していたらしい。それこそ法に触れそうな危険な手段も使っていたのだそうだ。お祖母ちゃんはそんな夫の姿に嫌気が差し、お父さんを連れて実質離婚のような状態になっていたという。
「なら、お父さん何で……?」
「親父を……放っておけなかったと言えば満足か?」
お祖母ちゃん達が出て行ってから、お祖父ちゃんはみるみるうちに弱っていったのだという。酷いやり方に手を出すような人ではあったが、家族への愛は本物だったという事だろうか。いずれにしてもお祖父ちゃんは精神的に弱るとすぐに体も悪くし、とても財閥の会長として活動するのが難しいレベルで弱っていたらしい。
それを家政婦から聞いたお祖母ちゃんは、別人のようになってしまった夫を助けるために家へと戻り、それに連れられるようにしてお父さんも神埜財閥へと戻っていったそうだ。
「見る影も無かった。偉そうにしてたあの親父が、あんなに痩せこけて……。ただの老人だった」
「お祖父ちゃん、そんな事が……」
「親父はお前が生まれる前に死んだからな」
「それじゃあ、それで戻って……お父さんが後を継いだの?」
「ああ。どんな悪党でも、親は親だ。今思えば、くだらない考え方だが」
財閥に戻ってからのお父さんは、お祖父ちゃんの後を継ぐために猛勉強をしたという。周りの人達にも頭を下げて周り、知らない事を教えてもらいながら今の地位になったそうだ。全ては、捨てきれなかった家族への情からだった。
そんなお父さんにもやがて、私達という家族が出来た。そうして自身も父親という立場になってから、ふととある恐怖心が生まれた。
「……俺も同じになる。そう思った」
「……」
「いや、お前からすれば俺も親父も同じか。あいつの……リコの事件の報道を規制させた男だからな」
「……分からない。でも、その事はもう責めないよ。お祖母ちゃんがそうしてあげてって言ってたから」
「……そうか」
お祖母ちゃんが言っていたように、きっとお父さんは私が好奇の目に晒されるのを避けるために規制を掛けたのだろう。それを私はお父さんが冷たいから、家系の方が大切だからそうしたのだと思っていた。
お父さんの目や喋り方で分かる。今の話は嘘ではない。クールに振舞っているだけで、実際は情を捨てきれない人だ。だからこそあんなマルクトが発現したのかもしれない。何もかもを腐敗させる力を持ち、本社ビルを狙うような存在が。
「……話過ぎた。戻るぞ」
「最後にもう一個聞かせて」
「何だ?」
「お姉ちゃんのこと……愛してた?」
「……お前と同じだ」
その言葉が聞けて、私の心は少しだけ安らいだ。今までずっとどこかで蔑んでいたお父さんへの評価を変えることが出来たという事実が、この人との血の繋がりを感じさせた。
お父さんも私もずっとお姉ちゃんの事件を引き摺っていた。ずっと喪に服し続けていたのだ。
式場へ向かって歩き始めたお父さんの後を追う。
「カンナ」
「?」
「あいつもお前が思ってるほどじゃない」
「そう、かな」
「……俺からはそれだけだ。悪い」
それだけ言うとお父さんは黙ってしまった。
マルクトの出現のおかげかお父さんへの勘違いを解くことは出来たが、お母さんについては信じることが出来なかった。
お母さんは綺麗な人だ。昔から学校のミスコンに選ばれるほどだったとも聞かされたことがある。その話をしている時、本当に嬉しそうに話していた。お姉ちゃんもそれを楽しそうに聞いていたから、私もその話を楽しく聞いていた。優しい自慢のお姉ちゃんが嬉しそうにしていると、私も嬉しい気持ちになれたから。
「あなた、大丈夫?」
「ああ、問題無い。カンナもすまん」
「うん……別に、大丈夫だよ」
その後、お祖母ちゃんの葬式が行われた。あれだけ友達の多かったお祖母ちゃんだが、親族だけで行われた葬式は何とも寂しいものだった。焼香を上げる人も私達家族だけであり、すぐにお別れの時間が来てしまった。
棺の窓からお祖母ちゃんの顔を覗き込む。そこから見える大切なあの人の顔は、本当に亡くなっているとは思えないほど安らかなものだった。小さい時に見た寝顔とそっくりだった。今にも起きそうな、そんな顔だ。
「お祖母ちゃん……」
寝息も聞こえない。本当に居なくなってしまったのだと実感してしまう。
「母さん……また、いつかな」
お祖母ちゃんの葬式は火葬もすぐに終わってしまった。私の大切な人は灰と骨だけになってしまい、今では小さな壺の中に収められてお父さんの手に大切に包まれていた。
葬儀を終えて家へと向かう間の車中、私達は一度も口を開くことはなかった。やはりお父さんにとってお姉ちゃんやお祖母ちゃんの死は、忘れることなど出来ないという事なのだろう。それは私も同じであり、絶対に忘れないし忘れてはならないとも思っている。
家へと帰り何時間も経ち、ふと夜中に目が覚める。渇いた喉を潤すために暗い中キッチンへと向かった私の前には、同じく水を飲んでいるお父さんの姿があった。
「カンナか」
「うん」
ミネラルウォーターをコップへと注ぐ中、背後から話しかけられる。
「カンナ、学校だが明日は休んでいい」
「大丈夫。行くよ」
「……そうか」
「ねぇお父さん」
「何だ」
「お姉ちゃんのあの事件……私にも詳しく教えて」
あの事件が起こったことで、当然私にも警察からの聴取があった。それ以外にもお父さん達が話している情報を断片的に聞いた。しかしまだ幼かったということもあってか、細かい情報などは聴取の時には聞かされなかった。もっとも、あんな残酷な殺され方をしていたのだから、言う方がおかしいだろう。
「聞いてどうする気だ」
「まだ犯人捕まってないでしょ」
「お前の役目じゃない。警察のやる事だ」
「でもそれで捕まってないでしょ」
もうあれから何年も経つが、犯人が捕まっていないどころか新しい情報すら無い。このまま警察に任せたままにしていても、現状から何も変わる事など無いのは目に見えている。それならばマルクトが何かをした線を調べてみるべきだろう。泡来さんにメールを送った人物も何か関係しているのではないかとも考えるのは行き過ぎた発想だろうか。
「……お願いお父さん。私と同じなら、お姉ちゃんのこと、そのままでいいの?」
「……」
「私はそのままなんて嫌。せめて知ってる事だけでも教えて」
「……誰にも言わないと約束出来るか?」
「もちろん」
お父さんとしても犯人が捕まっていない事には納得がいっていないらしく、今自分が持っている情報を教えてくれた。
ほとんどが自分の知っている情報と同じだったが、一つだけ知らない内容が含まれていた。お父さんによると、あの誘拐が起こるよりも前から不審な車が私達の周辺で目撃されていたのだという。
「使用人にも気をつけるように言ってたんだが……」
「それ初めて知った……」
「不安にさせるからお前には言うなと言われてた。リコから」
私がこの情報を知らないのはお姉ちゃんの気配りの影響だったようだ。元からそういった不審な目撃情報があり警戒していたというのに、何故かあの事件は起こってしまった。当時私達を陰から見守るように言われていた使用人ですら、あまりにもタイミング良く誘拐の現場には居合わせなかった。そしてお姉ちゃんは、何かが起こる可能性を予測していた。
「その車は……?」
「調べはついたらしいが盗難車だった。誰が盗んだのかも分からずじまいだ」
「カメラとか、そういうのに映ってなかったの?」
「よく分からん。警察からは『分かりませんでした』の一点張りだ」
何か嫌な予感がしてしまう。もしかするとあの事件には警察も何か関わっているのではないだろうか。身内が起こした事件だから、普通であれば調べがつくような事も分からなかったで済ませようとしているというのはありえなくはない。
お父さんから話を聞いた私は、警察に知り合いがいる生徒がいないか調べることを思いつき、お父さんに礼を言ってから部屋へと戻るとすぐに丞さん達にメールを送った。
「私が絶対に……捕まえるんだ」
そう自分に言い聞かせるように口に出し、明日へと備えて目を閉じた。




