第6話:デス・オブ・リコリス
学校からそのままお祖母ちゃんの家へと向かった私は、敷地内にお父さんが普段から使っている車が停まっているのを一瞥すると、チャイムを鳴らした。
いつもであれば出てくるのは大好きなお祖母ちゃんだった。しかし当然ながらあの人が出てくることはなく、代わりに姿を現したのはお父さんだった。
「……遅かったな」
「別に……」
お父さんはいつも黒い服を着ているが、それ以上に黒い喪服を着ていた。表向き悼んでいるだけなのか、それとも本当に悼む気持ちがあるのかは分からないが、少なくとも最低限そういう格好をしているのを見て少し安心した。
居間に上がるとお祖母ちゃんが寝かされていた。既に葬儀屋の人を呼んでいたのか、お祖母ちゃんの顔には白い布が掛けられており、服も死装束となっていた。その服装が、もう二度とこの人には会えないのだと実感させてくる。
「お祖母ちゃん……」
今でも目を覚ましてくれるのではないか、眠っているだけなのではないかと思ってしまう。いつものように優しい顔で、私に話しかけてくれるのではないかと期待してしまう。
しかしそんな私の想いは、彼女の手に触れた時に伝わって来た冷たい体温によって打ち砕かれた。生命の温もりは、もうそこには無かった。
「長く生きた方だ。悪くしていた割にはな」
「……冷たいんだね。お祖母ちゃんでも」
「……死んだ者は二度と戻らない。あいつも、同じだ」
お父さんと同じ血が流れているというだけで嫌な気分になったのは、今日が初めてかもしれない。自分の母親が亡くなったというのに、どうしてここまで冷血でいられるのだろうか。お姉ちゃんが亡くなった時から何も変わっていない。
内側から込み上げてくる怒りとも哀しみともつかない感情をグッとこらえ、お父さんへと振り返る。
「お母さんは……?」
「……明日合流する」
「今日は?」
「……そっとしておいてやれ」
思い返せば、お母さんはお姉ちゃんの死を悲しんでいたかもしれない。しかし娘を想って悲しんでいるという感じではなかったように思える。
あの人はただお姉ちゃんの死から目を逸らしていたのではないだろうか。優秀で誰からも愛される子を生んだ自分に向けられる目は、きっと憧れもあった。あの人はただ、自分の経歴に傷がつくのを直視出来ず、見ないふりをしているだけだ。
「お姉ちゃんの時もそうだった。お父さんもお母さんも」
「カンナ、言ったはずだろう。リコのことは、もう忘れろ」
「……本気で言ってるの?」
家族のことを忘れることなんて出来ない。大切な二人のことを忘れることなんて出来るわけがない。そんなことが可能なのは冷血なこの人達くらいではないのか。
「……明日は葬式だ。カンナも出ろ」
「言われなくてもそうするよ」
その日、私はお父さんとそれ以上口を利かないまま過ごした。食事を摂る気にもならず、お祖母ちゃんが眠る居間で夜を明かした。少しでも長く一緒に居たかったから。
翌日、私はお父さんの車に乗せられて葬儀場に向かった。お祖母ちゃんは霊柩車で運ばれ、小さな会場へと運び込まれていた。会場にはお母さんも到着していたが、その顔色はお世辞にもいいとは言えないものだった。
お祖母ちゃんの会場は葬儀場の中でも小さい部屋が選ばれているようだった。金額をケチったというよりも、近親者である私達だけで静かに葬儀を済ませてしまうつもりなのだろう。
「誰呼んだの?」
「俺達だけだ」
「お祖母ちゃんのお友達は?」
「……呼ぶ必要は無い」
お祖母ちゃんは社交的な人で、生前は沢山友達がいたのを覚えている。ご近所の人はもちろん、昔の同級生などとも今でも交流を持っているような人だった。私も極まれにそういった人達と会った事がある。
それだというのにこの人達は、お祖母ちゃんの死をまるで無かった事にするかのように知り合いに声を掛けていないのだ。
「冷たいよ……本当に」
「……何とでも言えばいい」
「お母さんもそう。そんなに名声が大事?」
「カンナ……?」
「本気で悲しんでるわけじゃないんでしょ。大切なのは自分の経歴だけ、そうじゃないの?」
「カンナ」
間にお父さんが立ちふさがる。
「何?」
「……少ししたら葬儀が始まる。頭を冷やしてこい」
「……真人間みたいな顔、しないで」
自分でも冷静さを欠きつつあると気づいていたのもあり、私は一旦お手洗いへと向かった。
手洗い場の鏡を見つめる。
どうしてあの人達はあんなに冷たいのだろうか。せめてお祖母ちゃんの旅立ちくらいは、皆に声を掛けて知らせるべきだったと考えるのは私がおかしいのだろうか。そんなに神埜家の名誉を守ることが大切だというのか。
とはいえ、感情的になってしまったことは反省しなければいけない。こんな顔をしていてはお祖母ちゃんを心配させてしまう。私はこれからはリターナーとして街を守っていくのだ。どす黒い感情に支配される事などあってはいけない。きっと、またあの人形の怪物を呼び込んでしまうから。
「……行こう」
気持ちを落ち着けてお手洗いから出た私は、会場で待っているお父さん達の所へと戻った。しかし会場に入ってすぐに違和感に気がついた。
会場内で聞こえていたはずの音楽が止まっており、お母さんや葬儀屋の人の動きも停止していたのだ。そんな中でお父さんだけが壁にもたれるようにして動いていた。
嫌な予感がしてしまい駆け寄る。
「お父さん!」
お父さんは顔色が悪くなっており、額には大量の汗をかいていた。微妙な違いはあるものの、泡来さんがマルクトを呼んだ時の反応と同じように見える。今は姿が見えないが、マルクトがどこかに居るのだろうか。
「俺は……」
「何でこんな……」
この人の感情が閾値を超えるなんて考えてもみなかった。どこまでも冷血漢で家族の死にすら冷めた態度で、感情的になっている姿なんて一度も見たことがなかったのだ。そしてこんなに苦しそうな顔も、初めてだった。
この感情が何なのかは分からなかったが、どこかに出ているであろうマルクトを探すために、私は喪服の下に隠していたブレスレットで変身した。
「カンナ……?」
「お父さん、ここから動かないで。戻ってくるまで」
急いで会場から飛び出て周囲を見渡す。少なくとも施設内にはそれらしいものは見当たらない。マルクトが人間に憑依するのが目的だというのなら、必ずこの近くに来ているはずである。それなのに何の気配もしないというのは奇妙ではないだろうか。
「泡来さんの時はすぐ後ろに出てた……。人によって違うの……?」
出現する場所は人によって違うのかもしれないと考え、外へと出てみる。最初はそれらしいものが見当たらないと思っていたが、葬儀場から少し離れた所にある植木が枯れている様子に目が行った。しかも枯れている範囲が少しずつ広がっており、明らかに異常な現象だった。
「!」
上空へと視線を向けてみると、そこにはマルクトの姿があった。
大きな鎌を持った巨大な死神のような姿をしており、身にまとっているフードの端はボロボロで、常に燻ぶって蒸発しているように揺らめいている。背中を向けているせいで顔は見えないが、何故かマルクトはこちらには向かっておらず、別の場所へと移動している。
「あれ……?」
丞さん達が言っていた事とは違い、あのマルクトにはお父さんの方に向かおうとする意思が見えない。憑依するのとは違う、別の目的があるとでも言うのだろうか。
とりあえず撃破はしなければならないと考え、空中にカードを飛ばし、それに引っ付く能力を連続で使用しながら一気に距離を詰めていった。そして後数メートルで接触するというところで大鎌を構築し、大きく振り被る。
だが、切りつけることは叶わず、私の体は強烈な痛みと共にバランスを崩して前方へと落下してしまった。
「いっ……た……!」
見てみると衣装や皮膚の表面が爛れたようになっており、グスグスと奇妙な音を立てている。
何が起こったのかと上を通り過ぎようとするマルクトを見上げてみると、フードの中の顔がついにはっきりと見えた。
そこにあったのは、お姉ちゃんの顔だった。
「え……」
私の知っている大切なあの人の顔が、無表情のままそこに収まっており、こちらには目もくれず真っ直ぐに飛行し続けていた。
あまりにも予想外の光景に呆然としていたが、地面に起こっている異変に気がつき我に返った。
マルクトが通過した後の場所にあった植物は全て枯れてしまっており、進行に合わせてその影響を受ける植物が増えているように見える。「通った後には草も生えない」という言い回しがあるが、まさにそれを表しているようだった。
「くっ……!」
このままここに留まるとまずいと感じ、咄嗟に横へとカードを一枚投げてそこに自分の体を引き寄せて脱出する。
回避後に先程まで私が居た場所の植物は一瞬で枯れ果てた。もしあのままあそこに居れば、私の体はこの火傷のような症状に全身が襲われていただろう。そうなれば下手をすればショック死する可能性もある。
「カンナちゃんっ!」
少しずつ呼吸を整えていた私の下に、丞さんと真心さんが空から姿を現した。どうやら学校に居る際にマルクトの反応が現れて時間が停止し、上空からあの死神の姿を見て、葬儀場の場所であるため駆けつけてくれたそうだ。
「すみません……ご迷惑かけて」
「カンナちゃんのせいじゃないしょ?」
「いえ、私のお父さんから出たみたいなんです。式場で一人だけ動いてましたから……」
真心さんは街の方へと移動するマルクトを見ながら口を開く。
「珍しい事例ね。人間の顔があそこまではっきり出ているのは初めてだわ」
「あの、少し質問が……」
「何?」
「マルクトが、憑依以外を優先することってあるんですか?」
「前に話したと思うけれど、今までは無かったとしか言えないわ。例外が起こらないとは言えない」
どうやら二人にとってもこういった事は初めてらしい。しかしそれ故にどうしてそんな性質を持った存在になったのかも不明のようだ。そして当然だが、私含めてどうしてお父さんを無視して移動しているのか誰にも理解出来ていない。
丞さんはマルクト目掛けて矢を数発発射したが、当たる直前に矢は完全に消滅してしまった。真心さんも左腕を解れさせて糸のように伸ばしていったが、途中で顔をしかめると一瞬で腕を元に戻した。
「当たらない……ってゆーか、消えたね」
「私の腕は消えなかったわ。代わりにこうなったけれど」
真心さんの左腕は先程の私と同じように火傷のような炎症を起こしている。
「よく分からないんですけど、近づいたらそうなるみたいなんです。火傷みたいな」
「見たところ植物だと枯れるみたいだね。無機物だと錆びてるっぽく見える」
「……正確には腐食しているのではないの? 範囲内のものを腐食させるのが、あのマルクトの力なのかも」
昔何かの本で読んだ気がする。人体は腐食性物質の影響で火傷のような傷を負ったり、体内に入れば息切れや嘔吐を引き起こすこともあるようだ。接近した時に急に痛みを感じて動けなくなったのは、そういうことなのではないだろうか。
もしそうだとした場合、あのマルクトが誰にも興味を示していないのは、戦う理由が無いからだろう。接近すれば全て傷つけて、生物であれば弱らせて死に至らしめる。だから戦うという選択が無いのだ。
「だとして、あいつの目的って何だろ。何で憑依もしないで街の方に……」
「いずれにしても止める必要があるわ。停止中は誰も逃げられない。そんな中で腐食させられたら、そのまま死ぬかもしれない」
「……街、あの方向……?」
確かにマルクトは街へと向かっている。だが大まかな移動という感じではなく、ずっと同じ方角目掛けて移動しているように見える。つまりその先に目的としている何かがあるということだ。
そこまで考えた瞬間、私の中にある可能性が導き出された。
「まずい……急ぎましょう」
「何か分かった系?」
「あの先……私の家系の、神埜財閥の本社ビルがあるんです」
何故お父さんから生み出されたマルクトがそんな所を目指すのかは不明だったが、このまま放っておくわけにはいかない。放置すれば大勢の人が犠牲になってしまう。
私は大鎌を分解してカードに戻すと、それを体の至る所にまとった状態で立ち上がった。