第4話:愛と贖罪
真心さんと共に保健室へと向かうと、既に泡来さんはベッドに寝かされていた。傍には丞さんが座っており、クラスメイトであり友達という名目で彼女の様子を見ているようだった。
保険医から許可を貰った私達はカーテンを閉め、丞さんの隣に座る。
「どんな感じなんですか?」
「まこ姉から聞いてるとは思うけど、正常な反応だよ」
保険医には聞こえないようにそう耳打ちされる。やはり真心さんが言っていたようにマルクトを呼んだ人物は、解決後に一時的に意識を失い、その間の記憶を失ってしまうようだ。しかしすぐに消えるわけではなく、僅かだが時間がかかる。彼女が目覚めてから5分の間は少しだけ記憶が残っているというのだ。
「まこ姉、悪いんだけど先生の注意逸らしといて。泡来さん起きたら話すから」
「……ええ。記録は録っておいて」
そう言うと真心さんは椅子から立つと、保険医の注意を引くためにカーテンの外へと出て行った。それからすぐに体調が悪いため診察して欲しいといった旨の会話が聞こえ始める。その声色は全く変わっていなかった。
「大根だなぁ……」
「あはは……」
ベッドから衣擦れする音が聞こえ、泡来さんが小さく声を漏らし目を開けた。まだ意識が朦朧としている様子だったが、私と目が合った途端に勢いよく上体を起こした。
彼女は慌ただしく私と丞さんを交互に見ると、自分が何故こんな所に居るのか理解出来ず困惑した様子を見せた。
カーテンの向こうでは泡来さんの覚醒に気がついたのか、真心さんは具合が悪いためトイレに同行してほしいと芝居を始めていた。明らかな三文芝居であるにもかかわらず怪しまれていないのは、普段から彼女の喋り方がそうだからなのだろうか。
真心さんと保険医が出て行ったのを確認し、丞さんが話し始める。
「おはよ泡来さん。体調どう?」
「あ、え、私……何で……」
「まず確認だけど、キミは教室でちょっと興奮してあたしに突っかかった。それは覚えてる?」
「う、うん」
確認したところ泡来さんは教室での出来事を覚えていた。不良である丞さんに私が絡まれていると勘違いし、助けるつもりで声を掛けてきたらしい。
しかし彼女のあの反応はやや行き過ぎたものであるように感じる。マルクトとの戦闘中に発された「いじめ」という単語にも引っ掛かるところがある。私はいじめを受けた経験が無いが、彼女は何をもってしていじめだと感じたのだろうか。
「あのさ、勘違いされたままは嫌だから言っとくけど、マジでカンナちゃんとは友達なだけだかんね?」
「で、でもいつそんな関係に……」
「……んま、それは色々あるってハナシだよ」
「私からも保証します。無理矢理とかいじめとか、そういうのではないんです」
「……分かったよ。神埜さんが、そこまで言うなら」
泡来さんはマルクトを倒されたことで冷静になっているのもあってか、素直に私の言葉を聞き入れてくれた。
「ごめんなさい幽日さん。昔見たのにちょっと似てたから、てっきり……」
「昔?」
「うん。小学校の時ね、クラスでいじめがあったの」
泡来さんはかつて彼女が見たといういじめに関する過去を話し始めた。
彼女が小学生だった頃、クラスでいじめられている子がいたのだという。当時の泡来さんは勇気を出すことが出来ず、そのいじめを止めることが出来なかったそうだ。そんなある日、その子は教室から飛び降りてしまったらしい。
「幸い、命は助かったんだ。でも……」
「でも?」
「今でも昏睡状態なの。ずっと眠ったまま」
「……ま、ありえなくはない話だね、うん」
それ以降、毎日のように泡来さんの夢にはその飛び降りた子が出てくるようになったのだという。どうしてあの時助けてくれなかったのかと、恨めしそうに言い続けてくるらしい。
「きっと、私への罰なんだと思う。それと、使命」
「使命というと?」
「二度とあんな事が起こらないように助ける使命。それが、私がしていかないといけない事だと思うんだ」
「でもそれは、泡来さんのせいじゃ……」
「神埜さんは優しいね……。でもせめてそれくらいはしないとダメだと思うんだ」
泡来さんの意思は固そうに見えた。その子の飛び降りに関わってるわけではないが、彼女の中にはその子を助けられなかったという罪悪感がずっと残っているのだろう。だからこそせめてもの贖罪にと、二度といじめは見過ごさないと決めているかもしれない。
「それで幽日さん、昔学校で傷害事件起こしたって聞いて、もしかしたらって……」
「……ま、否定はしないよ。言い訳するつもりも無いよ」
いつもクラスではムードメーカーとして振舞っている丞さんは、いつもからは想像も出来ない真面目な表情のままそう答えた。どうやら彼女が傷害事件を起こしたという噂は嘘ではないらしいが、彼女が理由も無くそんな事をする人間だとは私には思えなかった。
そんな自身に使命を背負っている彼女を見て、私の中にある希望が生まれた。いじめを見過ごさないと考えている彼女は、恐らくそういった事が無いようによく周囲に目を向けているはずである。もしかするとお姉ちゃんの事件の噂などをどこかで聞いたりはしていないだろうか。
「すみません泡来さん、少し聞きたいことがあるんですがいいですか?」
「う、うん。神埜さんなら何でも、言える範囲なら……」
「昔、神埜 リコっていう子が殺される事件があったんです。聞いた事ありませんか?」
「リコさん……。やっぱり、気のせいじゃなかった……?」
「何か知ってるんですか?」
「実は……」
泡来さんによると、まだ彼女が小学生だった頃、彼女が通っていた学校で似た名前の生徒が昔殺されたという話を聞いたことがあるのだという。その話は最早一種の怪談のようになっており、当時は私のことも知らなかったため何とも思わなかったそうだ。しかし私と出会ってから、かつて聞いた怪談に登場する女の子の苗字が私と同じだということに気づいたらしい。気にはなっていたようだが、もし親族だった場合を考えて聞けなかったという。
「その噂、詳しく聞かせてもらえませんか!?」
「も、もしかして本当に親族の人、だったの……?」
「……私の、お姉ちゃんだった人です」
「昨日のはそういう……」
丞さんも私の昨日の質問の意図を理解したらしい。
「あの事件はまだ終わってません。犯人も動機も、何もかも謎なままなんです」
「ちょ、ちょっと待ってください! 一体どう、いう……」
泡来さんの目が虚ろになり、呆けたような表情になる。その僅か数秒後、ハッと我に返った泡来さんはキョロキョロと周囲を見渡し始めた。
「あれ? 何で私こんな所に?」
「時間みたいだね。泡来さんは6分か、誤差の範囲かな」
「泡来さん?」
「え、神埜さん? え、え、何で神埜さんが?」
泡来さんは自分の体を見始める。体をリラックスした安静状態にするためなのか、彼女の一番上のボタンは少しだけ開けられていた。丞さんが気を利かせて外していたのかもしれない。
そのことに気がついた泡来さんは、急に顔を赤くして掛布団を手繰り寄せて体を隠した。
「そそそ、そんな神埜さん大胆過ぎるよ!」
「は、はい?」
「そういう目で見てくれるのは嬉し……いや光栄だけど! でもでも、そんなまだお付き合いもしてないのに!」
「な~にを盛っとるんだねキミは……。あたしも居るんですケド~?」
そんな彼女の反応を見て、私ですら彼女が私をどういう目で見ているのか、どんな風に意識しているのかを理解した。今までそんな感情を見せられたことが無かった私には、何故私なのかという疑問はあったが。
そしてそんな泡来さんの想いに気がついたことで、今日の彼女の行動にも納得出来た。もちろんただの親切心もあったのかもしれないが、それ以上に恋慕の気持ちもあったということだろう。自分でこんな事を考えるのは自惚れているようで少し嫌だが。
「か、幽日さん!? なな、何で居るの!?」
「何でって……泡来さんが体調悪くして倒れちゃったから運んであげたんしょー?」
「そ、そうだっけ……?」
「ま、泡来さんフラフラしてたし覚えてないかもだけどさ」
それを聞いた泡来さんは丞さんに頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え? いや別に頭下げなくていいよ」
「いや、私……幽日さんに酷いこと言っちゃったでしょ?」
「そうだっけ?」
「うん……神埜さんを脅してるとか色々言っちゃったでしょ」
「いいよ。さっきもう謝ってくれたからさ」
「そう、だったっけ?」
「うん。目ぇ覚ましてちょっとしてからね。もしかして無意識で謝ってた?」
どうやら泡来さんの記憶はマルクト出現からさっきまでの期間消えているようだ。そのため自身が既に謝っているということも忘れてしまっているのだろう。ということは、お姉ちゃんに関する質問をした私の記憶も消えてしまったということだろう。
丞さんは椅子から立ち上がる。
「さってと、そろそろ昼休憩終わるし、教室戻るかね。たまには勉強ちゃんとしなきゃだし」
「あ、もうそんな時間なんだ……」
「そ。戻んないとサボりになっちゃうってハナシ」
「そ、それなら早く戻って! 事情は知らないけど、幽日さん内申かなりまずいみたいだから!」
「それセンセーから聞いたの? あたしのプライバシーはいずこ……」
丞さんはおちゃらけた態度を見せていたが、泡来さんの真面目で神妙な表情を見てふざけている場合ではないと気づいたのか、ゴクリと息を飲んで足早に保健室から出た。私はまだお姉ちゃんの噂について聞きたいことがあったものの、この場所では確実にいずれ保険医が帰ってくるため、今は一旦教室へと戻ることにした。
廊下を丞さんと二人で会話をしながら歩く。
「カンナちゃん、さっきの話マジなの?」
「どれですか?」
「リコっていう人のこと」
「はい。神埜 リコ……私の大事なお姉ちゃんです」
「昨日の質問の意味、そういう事だったんだね。事件にマルクトが関わってるかもって」
本当にマルクトが関わっているかどうかは定かではない。本当はそんなものは何も関係が無い人間の犯行かもしれない。だが、いずれにしても今は何も情報が無い。泡来さんが昔聞いた噂話しか今は情報になりそうなものが無いのだ。それならば縋りついてでも聞き出さなければいけない。この情報が聞き出せたのは魔法少女になれたからだ。リターナーになれたから泡来さんと深く関わりを持つことになったし、これから先も色んな人間に会う理由が出来た。このチャンスを逃すわけにはいかない。
「今日放課後時間ある? 泡来さんから詳しく話聞こうと思ってんだけど」
「少しだけなら」
「何か用事?」
「はい。大切な……今日しかない大事な用事があるんです」
今日はお祖母ちゃんの通夜がある。出来る事なら早く家に帰りたいという気持ちがあるが、お姉ちゃんの事件の手掛かりも捨て置くわけにはいかない。割くことが出来る時間は可能な限り割いて、情報を集めるしかない。
放課後の約束を済ませた私は、午後の授業を受けるために自分達の教室へと戻っていった。