艦船の名前
第6項より続く→、一号艦である大和の設計計画主任(艦攻本部第4部造船部門)であった福田啓二中将の回想である。
ところで、大正時代に戦艦の名前は日本の国名をつける制度が出来た。日清戦争時には大和や武蔵と言う鉄骨板のスループ艦があった。ちなみに初代大和は明治20年に建造され、初代艦長はあの日本海海戦の英雄東郷平八郎である。昭和10年に除籍されていたので、新しく建造される事になった戦艦に大和の名が受け継がれる事になった。
今でこそそう言うルールや縛りは無くなったが、海上自衛隊の多くの艦船には、旧国名が使われたり、ある程度の法則はない訳ではない。
戦艦はそもそも、そんなに多くない。だからこそこうした制度にしたのかもしれない。日本の国名とは言え、せいぜい50個位である。戦艦に国名(藩名)を用いたのは、米国海軍や英国海軍の艦船の多くが艦船の名前に地名を用いている。現在の米国海軍の原子力空母の名前は海軍への功労者を艦名にしていたりもする。
中には武勇をあげた軍人や著名な政治家の名前を用いたりする国もある。艦船の名前に着目するのも一興かもしれない。たかが艦名と思うかもしれないが、士気を高めると言う点においては、大和と言う名前を聞いただけで士気が高くなったと言うエピソードもあるくらいであるから、中々どうして馬鹿には出来ない。艦船の名前にはそれなりの重要性があるのだ。