雪風に掴まって
生き残った人間は数少なかった。記録によれば1945年4月7日14時23分戦艦大和は、米航空機部隊の攻撃により、沈没。となっている。北緯30度43分07秒、東経128度04分25秒、死者3000人以上生存者200人余り。生き残った人間もいれば、死んだ人間もいる。
これは戦争だから仕方の無い事なのかもしれないが、死んだ人間の多くは爆撃に巻き込まれたり逃げ遅れて水死したり、爆発に巻き込まれたりしてしまった人間がほとんどであったと言う。
ここでは生存者200人余りにスポットを当てたい。大和の水上特攻には、9隻の随伴艦が伴っており、攻撃して来た米軍も救助に当たった。流石に捕虜は出なかったが、それでも日本人としては相当な"生き恥"である。
死線を越えた同胞にそんな想いはさせまいと、奮闘したのが第17駆逐隊の"雪風"であった。随伴艦とは言え、雪風は小型の部類に入る軍艦であり、大人数を収容するのは不可能であった。沖山和人も、仲間と共に地獄をさ迷いながら、雪風に救助された。雪風は生き残っていた多くの大和乗組員の命を救った。まだ戦闘は終わっていなかったが、恐らくこの一戦で日本の負けは確定したと、誰もが思った。そして知った。
連合艦隊は最早壊滅状態で、起き上がる術はもう無いかと思われた。沖山は素直に恐怖した。戦争を始めたのは政府と大本営であったが、あれほどの威厳を誇った世界一の戦艦大和がこうも見事にやられる。そんな戦いに自分がいて、もしかしたら死んでいたかと思うほど恐怖した。沖山は、雪風に掴まりながら敗戦の臭いを感じた瞬間であったと言える。




