地獄絵図
そこは正に地獄絵図と言えるものであった。沖山和人は、そんな地獄の最中にいた。カッターにとりあえず乗せてはもらえたが、自分の後継にはまだ沢山の将兵が残っていると思うと、あまり気持ちの良いものではなかった。
大和は最早鉄の塊になっていて、沈没するのも時間の問題であった。いつ火薬庫に引火して大爆発してもおかしくはない。46㎝主砲の砲弾に引火すれば、中の将兵達にはたまったものではなくひとたまりもない。とにかく沖山和人は大和から離れるべく、必死にカッターを同乗の将兵と共に漕いだ。
無差別とも言える爆弾の嵐により、甲板には腕やら足がバラバラに散乱して、多くの将兵の死体の山が築かれていた。戦争の厳しさを知る事も無く、大和ホテルで優雅な暮らしをしていた彼等には、あまりにも悲痛な最期であった。
米軍の狙いは他の随伴艦ではなく、大和一択であった。あれだけの的の大きさを誇っていた為、当てるのは雑作もない事であった。パールハーバーの恨みを晴らすべく、砲弾の雨を降らし続けた。米軍にとっては、この約4年に渡る大戦の集大成とも言えた。
犠牲になった将兵の事を思えば無念の一言に尽きるが、結局の所彼等は日本人のつまらぬ見栄によって殺されたと言っても過言ではない。地獄を見たのは大和乗組員だけではないが、それでもこの地獄は回避できたものであったと言える。
「死に方用意」により、死ぬ覚悟は出来たつもりであったが、その程度の覚悟は全く意味を為さなかったのである。




