5:5:3
大正11年2月に行われた「ワシントン海軍軍縮会議」において、米:英:日の戦艦保有率が5:5:3に決められてしまう。日本国内では反発の声もあったが、日本政府はこれを受け入れざるを得なかった。
と言うのも、日本は日露戦争に辛くも勝利したものの、国力的には軍事的にも国際情勢を牛耳る程の力を得るには至ってい無かったからである。勿論、これは日本が力を持つ事を充分に警戒したものであり、米国や英国をはじめとする列強の国々が意図的に行ったものである。
海軍軍縮会議は、何度か行われていたが、日本海軍が目指した八八艦隊は軍縮条約により、遂に実現する事は無かった。八八艦隊と言うのは、戦艦八隻、巡洋戦艦八隻で構成されるもので、日本を守る為には八八艦隊と言う巨大戦力が必要だと言う事なのであろう。
海軍軍縮条約の批准により、それは夢となったが、日本海軍は航空母艦や大和型戦艦の様な強力戦艦をそろえ、数の不足を補おうとした。航空母艦を運用出来たのは、当時米国、英国、仏国の他には日本しか存在しなかった。それだけ航空母艦の運用には技術とノウハウが必要な兵器だと言う事だ。
ワシントン軍縮条約の締結が日本に空母機動部隊を誕生させたと言っても、過言ではない。確かに軍縮条約の締結は日本にダメージを与えたが、決して負の側面ばかりが存在していた訳ではない。結果として日本が、米英を相手に4年もの間戦えた要因の一つに、ワシントン海軍軍縮条約は多いに関係していたのである。
数字ばかり見れば10:3と圧倒的に不利だ。そんな事は100も承知。日本海軍は工夫を凝らしきつい首輪をはめられながらも、そこで充分に力を示す為に工夫を凝らしたのである。