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大和物語~ザ・ビゲスト・バトルシップ~  作者: 佐久間五十六


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愛する者の為

 愛する者の為に戦うと言う事は、美談の様に映るが、本質的にはそこまで美しいものではない。家族を含めて誰もが、愛する者の為に戦っているかの様な錯覚に陥るが、それは間違いである。

 と言うのも、戦争は誰かの為に行うものではないからだ。戦争と言うものは、国家と国家のぶつかり合いであり、政治の延長線上にあるものであり、そこには個人個人の感情は入る余地がない。

 戦闘において、一個人が無双の如く活躍する様な時代は等の昔に過ぎ去っており、無用となった精神論は最早時代遅れの産物と言っても過言では無い。愛する人間の為に死ぬと言う事は美しい事なのかもしれない。だがそれは、物語の中での話である。現実の世界はそんなに綺麗なものではない。

 国家総動員とも言われた第二次世界大戦において、愛だの誠だのとそんな事を言っていられる余裕は何処にも無かった。もし、正しい歴史を教えろと言われたならば、私は恐らく愛だの誠だのと言う恋愛論は展開しないだろうと思う。

 結果論として、愛する者の為に戦ったと主張する人間はいるだろう。だが、端から見ればそれは後付けである事がよく分かる。正当且つ光明な理由が国家の為である以上、個人が何を思って、誰の為に戦っていようとも、日本軍の制服を着用して、日本軍に所属していれば、その時点で既に日本の為に戦っていると言う事になってしまう。

 皮肉な事に愛する者の為に戦うと言う事は、近現代の戦争では成立し得ない事象である。日本国家と言うものが成立していない戦国時代ならまだしも、昭和初期の日本は乱立してはいたが、明らかに近代"国家"であった。だから、愛する者の為にと言うのは、兵隊達のモチベーションを保つ為のツールでしかなかったのである。

 

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