御写真
日本海軍の兵士は二種類の写真を常に持っていた。一つは家族のもの。もう一つは昭和天皇陛下の御写真である。陛下への忠誠を誓うと共に、彼等の心情としては、顔も分からぬ人間の為に死ぬのは、御免だと言う事なのだろう。一人の日本国民として、陛下の為に命を捧げると言う覚悟があった何よりの証拠である。
広く国民の為に、昭和天皇陛下の御写真が出回っていたと言うのはあまり知られていない事だろう。この様な文化は米国にはないものであり、君主のいる国ならではの文化であると言える。
とは言え、陛下の為に死ぬと言う事はヒロイズムとは違う。ヒロイズムとは、自己中心的で、独り善がりな心酔に過ぎず、国家的な思想とは全く異なるものである。
日本軍として統一された思想と言うものは、特に無く彼等は洗脳もされていない。心から日本国民の為、陛下の為に日本の国運をかけた戦いに身を投じていた。米国に勝てるか負けるかは彼等にとっては、さして重要ではなかった。敵が誰であろうが、倒す相手の事はどうでも良い。
与えられた任務を全力で全うし、その先に勝利があれば良い。そう言うスタンスであった。勿論彼等とて、人間である。死にたくないと言う気持ちもあっただろうし、心から平和をを望んでいた。だが、そんな綺麗事が通用しないと言う事は重々承知していたし、何よりもそんな理想を振りかざしている余裕は無かった。
戦局は千変万化していたし、日々生き残るのが精一杯必死であった。そんな時に彼等の心の支えとなっていたのが、胸ポケットにしまいこんだ二枚の写真であった。この写真があったからこそ、彼等は辛い戦いも乗り越えていけた。それだけは確かに言える事であったと言える。




