大切な短刀
沖山和人は、命よりも大切な物があった。それはブーゲンビル島にて戦死した、山本五十六元連合艦隊司令長官から貰った短刀であった。銃器が全盛の時代であった当時にあって、海戦で短刀を用いる可能性はほぼ0%に近かったが、御守りとして彼はこの短刀を大切にしていた。
とは言え、末端の一海軍兵士に過ぎない沖山が、海軍トップから短刀を授かると言う事はまずあり得なかったが、沖山は山本元長官に気に入られていた。山本元長官が亡くなった今、この短刀は言わば形見である。
日本が米国に勝てる可能性を常に考えていた山本元長官の事をずっと側で見て来た。山本元長官亡き今、沖山が出来る事は、この短刀を持って一つ一つの戦いに全力投球することしか出来ない。無論、日本海軍の一員として死の覚悟を持って事に当たる覚悟は出来ている。
山本元長官は、事ある毎に対米戦を長引かせない戦い方を考えていた。一海軍兵士である沖山にはそのスケールの大きな発想は理解出来なかったが、山本元長官なら出来ると信じて付いて行った。日本が米国と戦争をする事を誰よりも恐れていたのは、他ならぬ山本元長官であった。米国の国力を知り、日本の国力の限界を知っていた数少ない人間であった。
そう言う人間から先に死んでしまうとは、皮肉以外の何物でもない。それでも残された者達がしっかりと戦わなければ、駄目な事位分かりきっていた。この短刀は、沖山にとって見ればシンボルの様な物である。口には出来ないが、この戦争で仮に日本が米国に負けたとしても、それで日本が終わると言う事では無い。諦めてしまえばそれで終わりだが、この短刀があったお陰で、沖山は諦めず戦争に立ち向かい続ける事が出来た。肌身離さずいつでも山本元長官と共にあると。




