学徒出身組と海軍兵学校出身組
日本海軍の兵士は大きく分けて二種類の人種に大別される。学徒出身組と海軍兵学校出身組の二つである。他にも志願兵や赤紙兵等がいるが、第二次世界大戦末期に重要な役割を担ったのは、この二つの人種だった。
海軍兵学校出身の兵士は俗に言う所のエリートであり、兵学校卒業と同時に少尉候補生として、現場に配置され一定期間が過ぎると、少尉になる。海軍兵学校出身組の中でも指折りのエリートは、海軍大学校を卒業しており、出世街道をひた走る。海軍大学校を卒業した多くの者は、佐官や将官になる。
一方、学徒出身組の大半が最後まで徴兵を免除されていた大学生であり、中には国民学校出身の若い年少兵もいた。当時の大学進学率は今と比べるまでもなく低いものであり、大学生もエリートに違いは無かった。その為、現役大学生の多くは予備士官として少尉待遇で入隊した。
とは言え、海軍兵学校出身の少尉や叩き上げ少尉の特務士官よりも、低く見られ地位や階級は同じであっても、同じ土俵には立たせてもらえなかった。海軍兵学校は諸外国で言う所の士官学校であり、海軍兵学校出身の兵士は、海軍教育の知識は豊富にあった。だからと言って、海軍兵学校出身の兵士が、必ずしも学徒出身兵士よりも優れていたとは限らない。
寧ろ、学徒出身兵士の方が戦場で結果を残していたケースもあり、一概に海軍兵学校出身の兵士だけが優秀であったとは言い切れない。最も与えられた任務は、全く異なるものであった為、単純比較は出来ない。日本海軍の屋台骨は、海軍兵学校や海軍大学校を卒業したエリート達が支えたが、彼等は万能の神では無い。それぞれの兵士に人間性があり、弱点や意思がそこにはあるのだ。




