最後の上陸
昭和20年3月下旬、最後の上陸が戦艦大和乗組員に与えられた。珍しく自由上陸となったが、これは彼等が生きて帰る可能性の低い作戦(天一号作戦)に従事しなければならない為に配慮されたものであった。
機密保持の為、大和に関する事は「ウの五五六」と呼ばれ、戦艦大和有賀部隊の事を指した。また連合艦隊の事はGFと呼ばれ、海軍の秘密主義は遂に変わる事は無かった。大和他日本海軍最後の連合艦隊が沖縄に特攻を仕掛ける日をY日とし、4月8日ががY日となった。総員3000人以上となった大和は、大和の歴史上最大の作戦を行おうとしていた。
各員は、それぞれ最後の休暇上陸(最後の上陸になるとは知らされていない)をエンジョイした。ある者は家族と、ある者は仲間の兵士と酒を酌み交わし、ある者は娼婦と過ごし、生きて帰れぬかもしれない事を隠して、それぞれいつもと変わらぬ日常を過ごした。
大和乗組員とて馬鹿ではない。いくら大和が不沈艦であるとしても、たった10隻足らずの艦隊では大和に集中砲火が来るのに違いはなく、どうしようもない事はよく分かっていた。それでも命令には逆らえない。無謀な作戦かどうかを決めるのは上の人間が決定するものだ。難しい事はよく分からないが、目の前に敵がいる以上敵前逃亡は出来ない。
何の為にこれまで生き残ってきたのかを考えれば、自ずと身の振り方と言のも定まって来るだろう。生への執着心は誰にでもある。もっと生きてもっと幸せに成りたい。そう思うのは、人間として当たり前の欲求である。そう言った欲求を全て抑える為には決死の覚悟で事に臨む必要があった。
まだ10代・20代の若者が兵士の大半を占めていたと言うから、それだけの覚悟を決めるのはどれだけの困難であったかと言う事は容易に想像出来る。「米国に勝てる」等と言う妄言など一切無かったにも関わらず…だ。




