特別年少兵(特年兵)
「特別年少兵」略して、特年兵として沖山和人は、昭和17年秋に帝国海軍に入隊した。齢15歳の少年だった。
普通海軍の志願兵は16歳以上で無ければ、入隊する事は出来ない。だが、戦局が悪化し苛烈になった昭和17年秋の頃には数え年で14歳以上の特年兵の募集を行った。
海軍当局の当初の方針では、3年間の訓練の後、優秀な特年兵は海軍兵学校(江田島)に入校する予定であったが、肝心の海軍兵学校の募集倍率が100倍と高水準で大変な人気があった為、その構想は脆くも崩れ去る。
戦局が悪化して更に苛烈した昭和18年3月には、特年兵の訓練の期間が1年半に短縮され、彼等は慌ただしく戦場へ送られた。海軍としては、特年兵でも立派な捨て石には成るだろうと、若い年少兵を戦力としてカウントしていた。特年兵を当初の方針の士官候補生には出来なくとも、下士官や兵隊には有用に成長させる事は出来た。
沖山も何かやりたいことがあった訳では無いが、教育を受ける内に少しずつではあるが、道を確定させて行く事になる。無論、特年兵だからと言って一般の兵隊と別メニューではなく訓練に差は無かった。寧ろ、厳しいものであった。
戦局が悪化していた事は、特年兵ですら感じ取っていたが、何よりも早く戦場へ行きたいと願っていた。教官は事あるごとに、「戦場はこんなものではない。」と、叱咤激励し、特年兵も訓練を受けた。気合や根性で戦果が変わるものではなかったが、それでも特年兵から気合や根性を取ったら何も起こらない。そして沖山和人の1年半の養成期間はあっと言う間に過ぎて行った。




