大和の飯
大和乗組員の最大の楽しみは何と言っても食事であった。飯炊き場には大きな6斗炊きの蒸気炊飯器釜が6個あり、同じ大きさの副食釜が2個あった。また、病人用の2斗炊きの粥釜が1個置かれていて、1釜はおよそ500人分の量である。
この他に、冷凍野菜庫が2つあり、それぞれマイナス10℃の温度を保った約6畳位の大きさの物がある。それに加えてもう少し大きい生野菜庫が2つと、冷凍倉庫が2つあった。炊き出し所は兵員2500人の食事が作れる面積が確保されていた。
サバ、アジ、カレイ、イワシ、ニシン、サンマ、マス、ブリ、タチウオ、マグロ等の魚介類があり、主に調理に時間のかからない煮魚が中心となった。勿論、肉類も豚、牛、鶏肉の他にウナギやクジラと言う高級食材も用意されていた。1日の献立の栄養価は一人2800~3000キロカロリーと高めに設定され、主食は半つき白米7分に麦3分の割合で一人6合。野菜は300グラム、肉類は180グラム、魚は150グラムと決められていた。
艦内の平常食事時間は、午前7時朝食、11時30分昼食、午後5時夕食となっていた。食器は飯碗、汁碗、おかず皿、湯飲みの4個で、構成され全てアルミニウムで出来ていた。献立表は10日で一巡とし、例えば日曜日は、以下の様なメニューが出されていた。
朝、味噌汁、付合せ、漬物、麦ごはん。
昼、ブリの照り煮、煮豆、すまし汁、漬物、麦ごはん。
夜ハムサラダ、ビーフシチュー、果物、漬物、麦ごはん。
この当時の食料事情から考えれば、大和の飯はとても贅沢で豪華なものであった事が分かる。兵士には良い飯を食わせると言うのが、日本国民の総意であったから、こうなるのも無理はないが、陸軍や海軍の他部隊を見回しても、大和の飯は図抜けて豪華であった。"大和ホテル"の名に相応しい食料事情であった。




