トラック泊地
連合艦隊の旗艦であった大和は、昭和17年8月28日から昭和18年5月28日まで、それまでの拠点であった柱島泊地から、太平洋のトラック諸島(通称トラック泊地)へと拠点を変えた。
進出してくる米軍を何とか日本の近海に近づけさせないようにする為である。トラック泊地ではそこでしか見られない命令が存在していた。その名も「スコール浴び方用意」である。スコールとは東南アジア等の亜熱帯地域で見られる気象現象の事であり、一日に必ず一回はあるものだと言う。
艦隊にとって、真水を得る事は、石油を獲得する位重要な事である。そんな中で雨水は貴重な水源であった。「スコール浴び方用意」が発令されると、オスタップと呼ばれる洗濯桶を持った兵隊や下士官等が甲板に立つ。石鹸と手拭いを手に真っ裸になり、露天甲板へかけ昇る。所謂天然のシャワーの様なものだ。
新兵は4日に1度風呂に入れれば上等であると言われていた為、新兵にとってスコールは正に恵みの雨であった。当然艦内で使う為の水も確保する。スコールはかなりの雨量で、補給は短時間で済んだと言われる。
連合艦隊が柱島泊地を離れたのは、戦略的な意味があっての事だが、スコールまでも計算していたとは思えない。最も日中は暑いし夜も熱帯夜になる事が多かったから、兵士にとっては楽園とは言え無かったであろう。南洋の国はどんどん米軍に奪取されて行くが、柱島泊地にいるよりは、トラック泊地にいた方が正解であった。
連合艦隊にとって活躍すべき場所は、ぶっちゃけ何処でも良かった。勝てば官軍負ければ地獄の示す通り、勝利さえ手に入れば過程はどうでも良かったのだ。とは言え、米国に勝てるとは思っていなかったと言うのが、本音だろうが…。




