徴募兵と志願兵
帝国海軍には大きく分けて二種類の兵士が存在していた。士官クラスは志願兵と言って自らの意思で入隊した者がほとんどで、兵隊上がりの士官は特務士官と呼ばれ、彼等は必ずしも志願兵とは限らない。
大抵の場合、海軍兵学校や海軍大学校を卒業して現場配置となった者がほとんどであった。その逆に、兵・下士官クラスの人間は徴募兵つまり、徴兵により入隊した者が多かった。
徴兵と志願兵の違いは士気に現れる。自ら志願して入った兵士の方がやる気はあり、ちょっとやそっとの事は耐える。だからと言って、徴募兵が粗悪だとは言わない。与えられた任務を全うする徴募兵も沢山いた。
20歳になれば強制的に兵役が課されていたこの時代。徴兵逃れは非国民扱いされた。勿論、入隊前には身体検査や面接があり、そこで落とされる所謂規格外の者は少なからずいた。
海軍が二種類の兵隊を用いていたのは、大きな理由がある。一つは徴募兵だけでは軍隊が運用出来ないから。もう一つは、士気の低下を避ける為である。士官クラスともなると、長年の経験や部下を統率する為の知識やノウハウが必要となる。
兵役は10年も続かない為、そんな浅い経験では、とても海軍を運用する事は出来ない。また兵・下士官は志願兵士だけでは足りない為、兵隊の補充には徴募兵が持ってこいなのである。
マンモス組織として海軍の人員が大幅に増えるのは、戦況が悪化し始めてからであるが、それは徴募兵のハードルを一気に下げ、健康な中年のおっさんまでも使う様になったからである。それと平行して志願兵士の募集もしていたが、海軍や陸軍には二種類の人員がいたのである。




