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A- 140

 開戦時の連合艦隊司令長官であった山本五十六元帥は、「不沈艦など有り得ない。今後の戦闘は飛行機の攻撃力にある。」と、堂々と航空機国防論を展開していたし、時代の流れとして大艦巨砲の時代は終わりを迎えようとしていた。

 大和や武蔵と言った大和型戦艦は、海軍内部で六段階ある機密レベル(①部内秘②秘③極秘④軍極秘⑤軍機⑥国家機密)の中の最高レベルの国家機密に相当する警戒が敷かれ、厳重な警備の元で管理されて国民が知る事は出来る様なものでは無かったと言う。

 戦艦大和は、「A-140」と暗号で呼ばれ、艦型が決定したのは、昭和12年の3月の事であり、呉海軍工廠の造船ドックに最初の竜骨(キール)を据え、起工されたのは、昭和12年11月4日の事であった。昭和15年8月8日に進水を終え、ドックから岸壁に移して艤装工事を完了したのが、開戦直前の昭和16年11月28日の事であった。

 戦艦大和の最後の主砲公式試験は、時を同じくして、徳山沖で密かに行われ、呉海軍工廠に戻ったのは、開戦の日昭和16年12月8日であった。それからは、市街戦闘と防空演習に明け暮れる事になる。戦艦大和の全長は263メートルと言う、前代未聞のスケールであった為、通常の艦船とは違いドックから進水させるのも一苦労であった。ドック内に海水を注水して浮上させ、曳船で海面に引き戻す方法がとられた。

 戦艦大和は完成した当初は、あまりにも巨大であった為、こんな化け物戦艦を沈められる艦船は無いと誰もが思っていた。しかし、そんな巨大戦艦の盲点である、空からの攻撃の進化のスピードが尋常ではなく、誰も想定していなかった。だから、実際には戦艦大和は不沈艦などではなく、航空機に討ち取られる事になる。

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