大和歴代艦長
大和の歴代艦長は5人いる。初代艦長である高柳儀八から、二代目艦長松田千秋に代わり、三代目が大野竹二、四代目が森下信衛、五代目が最後の艦長である有賀幸作である。
大和は連合艦隊旗艦の為、艦長よりも階級が高い現場のトップである連合艦隊司令長官も、乗っていた為、影の薄い存在になりがちであるが、歴代艦長は皆優秀な人間であった。
おおよそ、普通の艦の2倍~3倍もの人員を把握する事は難しいが、それでも彼等は部下をまとめあげて、約3年と3カ月の間活躍させた。四代目艦長であった森下信衛は、訓示でこう述べている。
「本艦は殿様では無い。戦局は今や重大な時期にさしかかっている。不沈戦艦と呼ばれ内陣に鎮座する時は過ぎた。城を枕に討ち死にの覚悟で本艦の戦力を充二分に発揮する事が我々乗組員の使命である。」
大和ホテルの営業は止めて、大和も死を覚悟して戦場に出る覚悟の言葉である。46㎝主砲が当たるか当たらないかと言う事は別にしても、戦力の圧倒的不足は、最早国民の誰もが知る所であった。だから、大和だけ特別扱いは出来ず、負けを覚悟して戦場に出ないと言う選択肢は、無かった。
大和を前線に出さず負けるのは、刀を帯刀していながら、刀を抜かないのと同じ事である。これは武士のプライドとも言えた。たが、そのプライドの代償として3056人もの人員を死なせる事に成った事は、大きな痛手であった。
日本海軍にとって最後の打ち上げ花火となる大和の水上特攻であるが、それは大本営が与えた大和の死に場所であった。




