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大和物語~ザ・ビゲスト・バトルシップ~  作者: 佐久間五十六


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大和主砲の命中率

 大和にはこれだけのスペックがありながら、実戦ではほとんど使われなかった。初めて主砲を撃ったのは、昭和19年6月20日のマリアナ沖海戦の時であり、竣工してから2年以上も経ってからの事であった。

 しかも、相手は艦船では無く航空隊であった。その後もほとんど主砲は一発も敵艦船に命中させられず、大和は沖縄へ海上特攻し坊の岬沖で米国部隊により沈められた。

 大和の主砲が当たらなかった理由を、大和の艤装員副長を務め、巡洋艦利根の名艦長として鳴らした黛治夫(まゆずみはるお)は、「相手が動くからだ。」と主張している。元々、かなり接近しないと戦艦の弾等当たらない。大和の照準装置は、確かに素晴らしいが、煙幕を焚くため照準しようにも、何も見えなくなってしまう。余程優れたレーダーがないとちょっと難しいだろう。

 レイテ沖海戦で大和の砲撃を受けた米護衛軽空母群のC・スプレイグ司令官は、こう語る。

 「大和の砲弾が頭上を通過する度に地下鉄が目の前を走るような凄い音がした。」

 そして、周りには極彩色の水柱がたった。生きた心地がしなかったとスプレイグ司令官は振り返る。主砲は微妙な事で、着弾する位置が大いに変わる。例えば、一発撃っただけで、衝撃や熱で砲身が歪む事もあると言う。また火薬の状態にもよる。大和の主砲は、それらの要因を全て折り込み何発撃ったか、いつ積んだ火薬か、砲弾なのかまでも計算するシステムがあった。

 それでも当たらなかったのであるから、実戦は理屈通りには行かない。パールハーバーで戦艦の時代は終わった。これからは空母と航空機だ。となると、日本海軍は大和の使い道は無くなると判断してしまう。もし、将来艦隊決戦があれば、引っ張りだそう。と言うのでエアコン完備の大和ホテルとして連合艦隊の旗艦しか思い浮かばなかった。そこに日本海軍のオール・オア・ナッシング的な発想しか無かった事がよく分かる。

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