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昭和16年12月8日

 昭和16年(1941年)12月8日。この日は日本にとって、最も喜びがあり、日本史上最もな敗北を喫する事になる太平洋戦争(日本名大東亜戦争)の開始された日である。

 煙草は空き箱と引き換えでなくては買えず、米や砂糖や衣料品にマッチと言った生活必需品は、厳重な統制下に置かれていた。

 本作の主人公である沖山和人(おきやまかずひと)はその年から、遡る事20年前。1921年(大正11年)12月8日、広島県呉市に産声を上げた。決して裕福な家庭では無かったが、「すうどん」ばかりをすする様な貧しい家では無かった。

 5人兄弟の末っ子として育てられた和人少年は、甘やかされていた。だが、進路を決定する時だけは、何故か厳しかった。父ヒロヒトは帝国海軍軍人であり、海軍兵学校を受験しろと和人少年は海軍兵学校の門を叩くも、受験に失敗してしまう。

 そんな折、母が落ち込む和人少年にチャンスはあるとばかりに、水兵の志願兵をすすめてくれた。和人少年は何とか水兵に成る事が出来た。昭和17年(1942年)は沖山和人にとって海軍入隊一年目の事であった。この時はまだ自分が戦艦大和と言った巨艦に乗り込み、大きな運命の渦に巻き込まれて行く事になろうとは、思いもよらなかった。

 日本海軍機動部隊がハワイの米国海軍太平洋艦隊に対して攻撃を仕掛け、大戦果を収める事になった事は、直ぐに日本国民の知る事となった。当時はまだテレビが普及しておらず、多くの国民は、軍艦マーチの流れたラジオや新聞でそれを知った。

 多少の戦略的なミスはおかしていたものの、日本海軍にとって航空母艦を使用した本格的な作戦が、成功したのは初めてであったし、何よりも味方の損害が軽微だった事も大きい。勿論、パールハーバー作戦は奇襲攻撃と成ってしまったし、その事実は変わらない。しかし、日本にとっては米国と言う新興大国には負けないと言う意思表示を強固に示したモノである事も変わらない事実である。

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