素晴らしい手を持つ男
僕の保護者であり有能過ぎる男は素晴らしい手を持っていた。
この何でもできる芸術家の手は何なのだろう。
「可愛い髪形になったよ。」
「…………そう。髪型は変わっても顔は変わらないものね。」
僕の言い方が悪かったのか、麻子は落ち込んでガクリと頭を前のめりにした。
「こら、クロ。落ち込ませてどうする。ほら、麻子も頭をしゃんとしろ。失敗したら嫌だろう。」
麻子は白いテーブルクロスを首から下に巻きつけられた達磨状態で、良純和尚によって散髪をされているのだ。
彼の言葉にゆっくりと麻子が頭を上げると、再び鋏の音が居間に響いた。
ジョキっではなく軽くチョキって感じだ。
僕が髪を切るたびに後ろで美容師に指示をしていた彼は、眺めるだけでなく美容師の技も盗んでいたようで、肩の長さの重たい釜のようだった麻子の髪の毛は、良純和尚の手によってフンワリとした顎ラインのショートヘアにされていく。
僕の髪の長さもこのぐらいだと、無意識に自分の頬に掛かる毛束を摘んでいた。
「良純さんって、顎のラインの髪の長さが好み?」
「うるせぇよ。俺はダラダラ長い髪は嫌いなんだよ。」
いつもよりも僕にそっけない彼は、切り終わったか今度はブラシで丁寧に髪の毛を梳かすと、彼女に鏡を差し出した。
「どうだ?お前は子供だから化粧はしないがな、髪型を変えるだけでお前は十分可愛いだろ?お前が好きな顔かどうか知らないけどな、自分の顔を知って、その顔のいい所を上手く際立たせりゃ、誰だって美女になれるのよ。ほら、笑え。」
僕はそれは無理だと思った。
麻子は宝石になった自分に驚き、石のように固まってしまっているからだ。
橋場家独特の頬骨の高く険のある顔立ちが、可愛らしく丸いシルエットになった髪型で柔らかくなり、その為に彼女の母親譲りの大きくて溌溂とした口元が目立つ。
この口元がにっこり笑ったら、誰でもハッピーにできそうな天使になれることだろう。
良純和尚はヘアワックスの類を手につけ、適当なところの毛先を刎ねるようにクイクイっと摘んでいった。
「ほら、このぐらいのお遊びをいれりゃあ、年相応で可愛いだろ。風呂場に着替えを出しておいたから、お前はこのままシャワーを浴びて着替えて来い。」
「え、せっかく可愛いのに。」
「濡れた髪の毛の始末の仕方も教えてやるから心配するな。急げ。」
元体育部の少女は物凄い勢いで風呂場に駆け込んでいった。
後にはモサモサの髪を畳に落として、と思ったが、さすがの良純和尚は養生シートを敷いていた。
それをまとめて、ぽいっだ。
債権付競売物件専門の不動産屋も経営している彼は、壊れたり見栄えの悪い物を生き返らせ、人が欲しがる素晴らしい物に変える天才なのである。
僕自身も彼が作り上げたものだ。
「さすがですね。」
「掃除が大変だからな。」
僕は彼の手腕を褒めたのだが、彼には合理的な部屋の片付けへの褒め言葉にしか受け取らなかった模様だ。
掃除機で簡単に居間を掃除し始めた彼は、僕にひょいと顔を上げた。
「ほら、お前も支度をしろ。」
「どうせ旅館についても夜だからこのままで大丈夫って。荷物も纏めてあるし。」
「アンズ。」
僕は慌てて冷蔵庫に走り、カット済みの野菜の入ったタッパを専用の保冷鞄に片付け始めた。
草食動物のアンズには専用ペレットもあるが、野菜をあげないとモルモットは野菜が貰えるまでしつこく鳴く。
ぷいぷいぷいぷいと、気が狂うほどに泣き喚くのだ。
預け先の気が狂わないように、彼女の餌はきちんと用意しておかなければならないのである。
「それでお前は麻子のことを善之助に伝えたのか?」
僕が伝えると麻子に叫んだが、麻子は絶対に嫌だと叫び返したのである。
「いいのか?」
「どう伝えたらいいのか。麻子の親権も監護権も善之助お爺ちゃんには無いのですよ。長男の孝一さんが亡くなった当初は優さんは凄くいい人で、彼女は橋場家の申し出を喜んで受けてくれましてね。彼女は橋場に住んで麻子を産んで一緒に育てて、そして仕事ともなれば信頼できる善之助お爺ちゃんに預ける事を了承してくれたのです。ですから、僕達には彼女達が橋場の人間に違いないのですが、法的には優さんは未婚の母で、世間的には麻子は橋場のコマーシャルの仕事しかないモデルの私生児です。」
「そりゃあ、そうすりゃ強力なスポンサー付となった芸能活動は左手団扇だろうからな。」