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人であるからこそ諦める

 僕が乗り込んで声をかけると、運転席の男は僕ににやりと笑った。


「困ったねぇ。やきもち焼きは大変だ。あぁ、面倒臭い。」


 真っ黒のスピードだけを重視した高級外国車はエンジンを轟かせ、優美な車体を見せ付けるように僕を彼の仕事場へと連れ去らんと発進した。

 おそらく良純和尚と楊はこの轟音に窓辺に寄り、軽い舌打ちと共に僕達を見送っているだろう。


「どうやってこの車を手に入れたのです?」


「悪い奴は隠し持っているものなの。」


「盗んだのですね。」


「ひどいなぁ。お友達に借りたの。」


「それで、どこで、僕は何をするの?でしょうか。何でもしますって言いましたけど、反社会的行動や良純さんを困らせることはできません。」


「はは。今日のこれはその約束と関係ない。この車の持ち主の家で、ちょっとした宴会。今日は仕事というよりも、そうだね、ただの顔合わせ。君もいいでしょう。君に会いたいって煩いんだもん。」


 後部座先には髙が苦虫を噛み潰した顔で、斜め横に転がるように行儀悪く座っている。

 彼の意見を絶対に聞かない運転手への最後の抵抗なのだろう。

 僕も勝手に仕事の仲間に加えられて、当たり前のように召集されたのだ。

 髙の気持ちがわかり過ぎるほどわかる。


 運転席の男は後部座席の髙の姿をルームミラーで確認したのか、とても楽しそうに笑い出し、そして車はぐんと加速して僕はシートに貼り付けられた。


「一般道をこんな速度を出していいのですか!」


「もう一般道じゃないからね。危険な危険な獣道。」


 エンジンが出し得る最高速度で走る車は、見慣れた街の風景から牧歌的な日本の田園風景の中に入り、そしてその車が止まった場所にはチューダー式の外観を持つ和洋折衷のはずの邸宅が建っていた。

 両開きの玄関ドアの上部には見事なステンドグラスが嵌っており、居間があるらしい場所には暖炉があったのか煙突もついており、煙突の天辺には様々なアンテナが刺さっている。

 車を降りて怪しい家の前に佇むこととなった僕の感想は、声にしてしまうほどだった。


「何をやっているのですか。」


「まったく。あなたたちは死んでからもこんなおふざけをしているのですか。」


 髙は僕を彼らに毒されまいと考えたのか、僕の肩を抱いて自分の方に引き寄せた。

 ここまで僕達を運んできた長谷は、楊のように眉毛を上下させておどけるが、僕には彼らの生き方が悲しいだけだ。


「あなた方は生き神も死神も存在しないもうひとつの世界を作って、そこに留まって、長い長い年月を歩く事にしたのですか?不老不死なんて悲しいだけではないですか。僕の親族だという神崎署長だって。彼は三厩円慈でも隆志でもあったと告白したけれど、僕はその頃の彼に会っているはずなのに全く覚えていない。いるのにいないって、一番辛くて悲しいじゃないですか。父が一切僕に関わろうとしなかったあの頃は、僕は、僕は。」


 目の前の長谷の輪郭はぼんやりと歪み、世界は僕の涙でぼやけたソフトフォーカスで包まれた。

 可哀相な過去の自分へか、人でなくなった彼らへか、僕は涙が止まらなくなり、しかして髙に抱きしめられた。

 抱きしめられ彼のスーツの布地の感触に、記憶を取り戻す前もこうして泣いて、僕は彼にあやされたのだと思い出した。


 その時僕は彼がするように父にあやされたいと渇望していた自分を知り、そして自分は父に存在を認めて欲しかったのだと自分に認めたのだ。


 その父は僕へのネグレクトという罪状で武本より放逐され、アメリカの辺境に流されることとなったが、彼の研究テーマである先住民の歴史の調査活動を行えるので彼には幸せだろう。

 大金持ちの母親に買ってもらった教授職だってあるのだ。

 僕に当主の座を奪われたから、彼には長い長い寿命だってある。

 人は時には諦める事も必要だ。


「髙さん、帰りましょう。」


「おや、帰るの?仕事を一緒にしてくれるって約束でしょう。」


「やっぱり出来ません。僕には家族がいますし、そして、髙さんにはこれから子供が生まれる。この世界にいられません。そうでしょう、髙さん。」


 僕を慰めてくれていた髙は、同調するどころか自嘲するような微笑を浮かべていた。


「髙さん?」

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