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もういいのですって

 苦虫を噛み潰す殺気の篭った髙への恐怖に、楊がもう一度生まれ変わりたい心持ちになったところで、髙が折りたたまれたチラシの様なパンフレットを彼に差し出した。

 楊はそのパンフレットを開き、それが彼が長谷から贈られたコートを製作した会社のものだと気がついた。

 タグに刺繍されていた社名と一緒なのである。

 彼はパタンとパンフレットを閉じると、理解したような顔で髙に返した。


「フランス語で読めません。」


「第二外国語がフランス語だったって言ってませんでしたか?」


「俺は通算八年は英語を勉強したけど喋れないよ。」


 髙はふぅっと嫌味ったらしく息を吐くと、なぜかフランス語を読み出し始め、同時通訳のように読んだ一文を日本語に訳すという神業を見せてきた。


「凄い。隠された才能?タベちゃんて凄い。」


「英語もフランス語も敵性語でしょうが。敵の言葉がわからねば戦略を練るための情報ひとつ手に入りませんからね。」


「すいません。俺は尋常小学校も満足に出ていない無学なもので。でも、スゴーイ。さすがの田辺さんですね。」


「本当にあなたは。俺だってあの頃は、適当な英語と身振り手振りだけで大きな契約を結んで来る誠司に驚いたものですよ。いいから、聞いてください。この会社はね、俺が副官をやっていた中尉殿、竹ノたけのつか恭一郎きょういちろうが興した会社なのですよ。日本にいた時も隠れて武器を作っていた反社会的な人ですからね。それで、今の社長が息子の海さんです。ほら、この写真。似ているからわかるでしょう。あなたの妹分の彼の妻も彼も幸せに一生を過ごしたそうですよ。」


 楊は懐かしそうにパンフレットの小さな肖像写真を眺めていたが、彼は次第に口元が振るえ体までも震え始めていった。

 髙はそっと楊の体に触れようと手を差し伸べた時に、楊が悲痛に震える声をあげた。


「俺のせいで、俺を養子にした相良曜子は、俺のせいで死んでしまった。」


「あなたはそれで、本格的に三條になろうとしたのでしょうね。それから、その時に一緒に殺された、あなたが大事にしていた猫二匹も。あなたがアメリカから買い付けてきた大事な猫の死には、うちの大将もひどく怒っていましたからね。」


「竹ちゃんは、あの子たちを俺から奪いたがってたものね。」


 楊は玄人に見せつけられた銀色の猫を思い浮かべ、その猫の相棒である真っ黒なペンキを上からかけられたような模様の茶色の猫の事も思い出していた。

 二匹の猫は誠司に甘えて纏いつき、それを羨ましがる長谷の子供達に追いかけられ、その情景を思い出して、楊は雅敏だった時代の自分の顔を思い出したのだ。

 あれは長谷の息子の良祐の成長した顔であったと。


「あぁ、俺は自分で殺した子供に乗り移っていたのかよ。」


「長谷ちゃんは、あの嘘つきは、子供の体を冷たくしたくなかったと。それから、あなたをもう一度違う人生に生かしてあげたかったと言ってましたよ。」


「ごめん。田辺ちゃん。謝ってすむ事じゃないけど、ごめん、祥子さん。ごめんなさい。父さん。ごめんなさい。俺は、俺は…………。」


「もういいですよ。かわさん。いや誠司って言った方がいいのでしょうかね。もう終わったことです。祥子は癌で長くはなかった。子供を諦めて癌の治療をしていれば助かったかもしれないが、あいつは生みたがっていたからね。生んだ頃にはもう末期だ。もう、いいのですよ。あなたはね、寝言で叫んでいましたよ。嫌だ、助けて、と何度も何度も。大人の俺達があなたの過去の悲しさを本当に理解していなかった。俺達の責任です。それに、俺は田辺ではなく髙悠介です。百目鬼さんがいつも言っているでしょう、失敗したら何度でもやり直せばいいって。人間はいつでも止めるって行動も取れるし、違う選択肢も選べるはずだと、その通りじゃないですか。」


「俺は、同じにしか生きられそうもない。」


「僕もそうですねえ。人を自分好みに育てるのがやめられない。これから一緒に変わって行けるように頑張りましょうか。もういい年だから変われないでしょうけどねぇ。」


 髙は楊を抱きしめて子供をあやすように背中を叩いていたが、しばらくすると、髙は急に思いついたように喉の奥でクスリと笑い声をあげた。


「髙?」


「玄人君を呼んだらあなたの涙は収まりますかね。」


「……なんだよ。」


「いやね。あのキスは凄かったですね。僕もご相伴に預かりたいとゴクリと息を呑みましたからね。彼はあんな凄いキスができるのですね。」


「ば、馬鹿。急に何を言うの。あれは緊急で、」


 楊は二日前の玄人からの口づけを何度も思い浮かべている事を相棒に気づかれていたのかと、慌てて相棒の腕の中から離れると彼を見つめ返した。

 髙は口元を押さえて、嫌らしそうな表情で楊を見つめて笑っている。


「かわさんはかなりうっとりしていましたものねぇ。」

「やめてよ!」


 楊はこの場から逃げ出したいと、しかし、玄人の唇を思い浮かべてしまった。


「あ。かわさんが消えた?嘘。」

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