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誰にも欲しがられないと泣くのなら、奴隷のまま奥歯を噛みしめて嗤おう (馬17)  作者: 蔵前
十三 俺の息子でない息子を守ってくれるかい?
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俺はもういらないんだね

 戦前の俺の家は貧しいどころでは無かった。

 亭主のいない女は体を売るしかなく、母はあばら家に客を引き込んでは、生きるために体を売っていた。


 母の客など俺を殴るか、性的な乱暴をしようと試みる馬鹿ばかりで、俺に優しくして守ってくれる男はあいつが初めてであった。

 彼が母の客になるまで、俺は俺を守ってくれない母を呪いながら身を隠して自分で自分を守り、そうして子供心に自分には未来などないのだろうと考えていたのである。

 俺はその内に母の客に嬲り殺される。

 それは確実な未来なはずだった。


 しかし、俺に対して執拗な母の客は、ある晩、俺を神社の縁の下から引きずり出し、俺を引き摺っている最中に火達磨になって、俺の障害ではなくなった。

 そして、あいつが母の客になって、俺の世界が変わったのである。

 母は客を取るのを止めさせられ、ちゃんとした一軒家を与えられ、俺は当たり前に小学校に通わせてもらえるようになった。

 母に通う彼は俺を邪険にするどころか、かまい、漢字や計算を教えてくれたのだ。

 文字も書けなかった俺は、彼のお陰で本や新聞を読むという楽しさを覚えることが出来、俺の世界は希望に輝いた。


 けれども、幸せは続かない物である。

 彼と母は別れ、母は昔の客の一人と再婚した。

 なぜかはわからなかったが、数日後に俺は理解させられた。

 彼が母ではない別の女性と結婚した事を俺は知ったのだ。


 偶然ではなく、俺が彼を求めて彼の自宅へと走ったからだ。

 彼は妻という女性と仲むつまじく、そして、彼女の連れ子らしき少年に縁側に座って本を読み聞かせていた。

 俺にしてくれたように。

 俺はもう要らないのだ。


「聞いているのか、あの女は誠ちゃんを裏切っていたよ。」


「また誤解だろ。最初は長谷が住んでいる高級マンションに女一人で住めるなんて囲われ者だって騒いでいたくせに、実は武本物産の親族のお嬢さんだろ。今度も金持ちの親戚なんじゃないのか?一ヶ月ぶりに東京に帰ってきたばかりの俺に変な事を言うのは止めてくれよ。」


 言い返した俺に、友人は哀れむような目線を送った。


「なんだよ。」


「あの女、不細工なくせに二股かけているよ。ほら、今林が撮った写真。この写っている相手は医者らしいよ。」


 南が差し出した写真には、連れ込み宿に入る恋人と知らない男が写っていた。

 画像は悪く日名子の顔は影になっていたが、彼女が着ているワンピースには見覚えがある。

 彼女が青森にいる時代に、自分で布のデザインをして作り上げた作品だ。

 白黒の写真では灰色でしかないが、緑の葉陰が重なり合った色合いの、青森の夏をイメージしたものだったという。

 絵心のない俺にもわかる、素晴らしい色あわせの作品なのだ。


「あたしの残り香ってものね。捨ててしまえば良いのに、未練がましく持っている。」


 彼女は才能が枯渇した嘆き、日々繰り言の多い、妬みばかりの女に変わっていき、それにともなって、彼女が封印していたワンピースに彼女は袖を通すようになったのだ。

 俺は美しいと思えなくなってきた彼女に、それは君には似合わないとも言えない臆病者だ。

 世界が壊れたら俺は壊れてしまう。


「別れなよ。あんな女はさぁ、神保がこなをかけたら、コロっと手に落ちたってさ。」


「……俺の女だと知っていてか?」


「昔は俺達も相当遊んだだろ。女の共有もあったじゃないか。それでね、あの女が相良商事が欲しいだけだって口にしたらしいからね、今度の山は武本の売り上げだねって話。」


「勝手に。」


「あんたは女に現を抜かしてから、またふ抜けたじゃないか。今日の売り上げを銀行に運ぶそこを狙う。ばらすなよ。」


「ばらすな、か。一緒にやろうじゃないんだ。俺はもういらないんだな。」


「誠ちゃん?」


 俺は自分の身の内に怒りも湧かない事を不思議に思いながら、全てに別れを告げるためだけに彼女が働く武本物産の百貨店へと足を向けた。

 絵が描けなくなったと美大を辞めた彼女は、実家の百貨店に就職したのである。

 俺は美大を辞めてからの彼女が重荷になっており、長期の出張を喜ぶようにもなっていた。


 怒ってどうする?

 俺はもう要らないのだ。

 そして、そう仕向けたのは俺だろう?

 俺の心はふきっさらしの荒野のように空っぽで、彼女にどうこうするつもりもなかったが、呼び出して一ヶ月ぶりの彼女は、完全に出会った頃の彼女ではなかった。

 同じ声だが醜い顔に嫌らしい目つき。


「お前は、誰?」


 彼女は俺の言葉など一つも聞かず、俺との結婚だけを口にする。

 あまつさえ、この見知らぬ女は俺に縋りつき、キスを強請ろうと纏わりついてきたのだ。


 叫んでも誰も来ない暗い夜道。

 隠れていた俺は見つかり、好色そうな輝きを目に宿した母の客に腕を捕まれ引きずられていた。


 いやだ。もう嫌だ。

 俺は思わず彼女を跳ね除けた。


 俺が撥ね退けたのはあの男だった。

 君じゃなかった。

 君を殺す気などなかった。


 気が付けば俺は全てを炎で破壊しつくし、俺の生み出した炎だけが俺を守るように、俺を優しく囲んでいた。

 俺こそ一緒に焼き殺して欲しいのに、炎は俺を燃やしもしない。

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