娘は父親を攻略する
武本家は東北に本拠地を持ち、現在は通販と外商だけに絞って展開している武本物産という老舗の経営者一族だ。
彼らの外見は小柄で小動物系でもあるが、実に小動物並みに寿命も短い。
そこで、大昔に彼らは神様に願掛けをしたのだそうだ。
「当主が五十歳まで生きれますように。」
「当主がおわす限り武本が繁栄しますように。」
よって武本家の当主は、寿命百年目指せる現代でも五十歳の縛りを受ける事になっている。
これぞ、武本家の五十年の呪いだ。
願を返せばいい話でもあるが、武本家こそ願があったこと自体を忘れていたがために、願を返す先の神様が見つけられないという体たらくだ。
「盗み聞きしないでよ!クロちゃんはあっちにいって!」
十四歳の少女に怒鳴られ、何も言い返すことなく小さくしゅんとなった彼は、二十一歳の大人のはずではなかっただろうか。
東北人特有のぼさぼさの見事な睫毛で飾られた、黒曜石のような瞳を悲しそうに伏せると、彼は俺達に注目されながら、情けない風情でスススと襖を閉じて襖の向こうに消えていった。
彼が馬鹿なのは人並み以上に美しいからではなく、武本家同様に馬鹿な一族とのハイブリッドなのだから仕方がない。
白波酒造を経営する白波家は、応仁の乱の時代の事を未だに根に持ち、また、明治時代に彼らが守る神社が政府に取り上げられたからとした仕返しという悪行がバレては不味いと、この平成の世のなっても神社の神主に返り咲くことが出来ないという間抜け一族だ。
俺は玄人の身内を想って溜息をついた。
橋場も武本も白波も馬鹿ばかりだ。
しかし、俺の目の前の少女は橋場の人間でも、まだ「馬鹿」ではないはずだ。
「整形したらお前じゃなくなるだろうが。お前は十分可愛い顔しているんだ。白波の顔は綺麗かもしれないがな、あいつらはクローンみたいにそっくりでつまらないだろ。」
言いながら俺は心の中で訂正した。
孝継が社長室に玄人の写真を飾りたがるのも無理も無い。
玄人は武本家の血によって、白波家の女達の誰よりも美しく可愛いのである。
玄人の写真を社長室に飾るようになってから、社長室で社長から直にお褒めを受ける機会を得ようと従業員の士気が上がったと、孝継が鼻を膨らませて自慢するほどなのだ。
女性化する前からその顔によって異性愛者の筈の男達に襲われかける程の美貌であったのに、女性化した今では俺の見立てによって常に誰よりも美しく見えるように整えているので尚更だ。
親友には俺のその行為を呆れられているが、一緒に住むのならば自分好みで美しい方が癒されるものであろう。
俺は質実を大事にする禅僧だ。
自分の物を煌びやかに飾ってどこが悪い。
「じゃあ。良純さんが本当にあたしを可愛いと思うなら、あたしを二晩ぐらい泊めてくれてもいいじゃないですか。」
俺は思わずちゃぶ台をばしんと軽く叩いた。
彼女を怯えさせる意図ではない。
ずるっと、体制が崩れて立ち膝に乗せていた腕がちゃぶ台に落ちただけだ。
この俺が、麻子の思惑に乗せられていた、のだと気がついたからである。
矢張り、馬鹿の子の方が可愛い。
簡単に俺が乗せられるとは、馬鹿な子と一緒に居過ぎて俺も馬鹿になったのだ。
だが俺は非常識な親族の中で全うな常識人を保っている。
小娘ぐらい簡単にいなせる筈なのである。
「お前は賢いな。俺がそれでも断ったら整形するって脅すのか。だがよ、残念ながら俺は今夜神奈川の相模原ででケダモノを拾って箱根に行かなきゃならねぇんだ。ここからお前の学校は通えても、箱根じゃ明日学校に行けないだろ。」
麻子は必死の形相でちゃぶ台に身を乗り出した。
「明日の二月十日はあたしの学校はお休みです。お願い。宿代はあたしが出します。今日から日曜日まで!月曜日にはちゃあんと学校に行って、橋場の家に帰りますから。お願いします。今日から十三日の朝までここに居させてください。」
これは玄人の言っていた通りなのかも知れない。
彼が麻子を心配して居間の周りをひょこひょこと蠢いているのは、彼女を出迎えた時に母親の再婚相手に麻子が襲われかけた映像が見えたからなのだ。
俺はそれを聞いて、麻子が整形したいと言い出したのがそれを忘れたいためだと思っていた。
せっかくの良い姿を、くだらない人間に引き起こされた出来事で台無しにしてはいけないと、俺は彼女を必死で説得していたのである。
母親が再婚相手を連れて居座る橋場家から、麻子はただ避難したいだけだったのかと、鈍い俺はようやく合点がいったのだ。
たった三日で麻子が救われるのであれば、箱根を連れ回すぐらいなんてことはない。
彼女が玄人の妹同然であるのならば、俺の娘同然でもあるのだ。
「わかったよ。根負けだ。良いよ。」