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天狗だった男は女神に恋をしていた

 楊は一方的な玄人の口づけにうっとりとしていた。

 誰を抱いても感じられない安寧と平和のまどろみ。

 彼は楊を求めるが、楊に求められる事の強要をしない。

 彼が何もしなくても玄人は彼のそばにいて、いつまでも寄り添うだけで良い存在なのだ。


「俺は愛して愛を返す事に疲れたんだ。違う。愛されることに疲れた。俺は皆を愛しているんだから、放っておいて欲しいんだ。それも違う。俺を捨てないでもらうために、彼らの望む姿で居続ける事に疲れたんだ。」


 ぼんやりと呟いた彼の横にいる女神は彼に微笑んだ。

 艶やかな黒髪は肩下まであり、さらりと彼女の白い肌を撫でている。

 黒く長い睫毛に縁取られた大きな目を持つ彼女は、彼の大好きなクリムトの絵のように扇情的で神々しい。

 うつ伏せで両肘を突いて上体を持ち上げているため、彼女の豊かで形の良いみずみずしい胸が丸見えだ。


「何もしないのに裸に為るのって、全く意味が無いのでは?」


 彼女はからかうように彼に向かって眉毛を動かした。

 彼はスッと人差し指で彼女のその眉毛をなぞった。

 指先がふわっと感じる、東北人の濃い眉毛。


 武本日名子は眉を弄る誠司の行為に抗議するように、軽く唇を尖らせた。

 誠司は愛する女性、自分が無能でも全部受け入れてくれた恋人の顔に顔を傾けて、彼女の柔らかな唇に軽いキスをした。


「やっぱり、俺は助平なのかな?女性の体を鑑賞するのは大好きなんだよ。」


 クスクスと心地のよい笑い声が楊を包み、彼は至福に目を瞑り、今の幸福と平安に深く耽溺しようと意識をむけた。


「かわちゃん。目を開けて。何もしなくていいから、目だけは開けて。」


「嫌。眠らせて。何もしなくていいなら眠らせて。」


「もう。」


 怒った声の抗議があるが、彼は本当に何もしたくは無いのだ。

 だらだらと目的も無い道を歩き続けたような空しさが、今のこの時だけは感じられず、体はフワフワと宙に浮いているようだと、彼は再び深い眠りに落ちようと試みた。


 すとんと意識が落ちた先は、地中に向かう洞窟の穴の前だった。

 彼は深い穴の中に自分が攫った人物がいる事を知りながらも、そこに蓋をしようとしているのだ。

 そのような恐ろしい行為でありながら、彼は不思議と罪悪感も抱いていない。

 それでも、そんな自分が急に恐ろしく感じたのか、彼は穴の中を見下ろした。


 深い深い穴の底でありながら、彼女は輝き、自身の輝きで顔貌などもわからないに関わらず、彼には彼女が微笑みながら彼を見上げている事はわかっていた。


「どうしてこんな無駄な事をしているの?」


 ほら、彼を責める声音が無いではいか。

 彼女はこの状況を楽しみながら、彼の行動が不思議だから質問をしているというだけだ。


「俺も意味がわからないよ。春日姫。」


 答えながら彼は蓋を閉じ、奥で彼をあざ笑うような女性の嬌声を聞いていた。


「あ。真っ暗だ。」


 真っ暗になった世界に取り残された男は、自分が春日という名の女神を隠してしまったからだと気がついた。

 暗い穴倉に隠したのは自分自身だったのか。彼女は夫に救われ、自分を攫った天狗の事など簡単に忘れてしまうだろう。


 しゅぼ。


 どこかで炎が起こった音がした。

 彼は見回すと、真っ白に体を輝かせた男でも女でもない美しい存在が両手に炎を灯して浮かんでいた。

 真っ黒な髪の先端が赤い火がちらちらと燃え盛る炎でできており、何も身につけていない白い体は胸も無く、下半身には性器の印も無い。


 完全なる無性の体。


「さぁ、僕を見て。」


 彼は美しい顔を楊にむけて微笑むと、楊の周り全てを炎で焼き尽くした。


「俺もこの炎で焼き尽くされるのかな。」


「焼き尽くされるのではなく、炎そのものになって。」


「俺は動きたくないのにね。」


「怠け者。」


 楊は彼を責める日名子の声を聞きながら再びまどろみ、何もしない彼を抱きしめる日名子の体を感じていた。

 楊の体は日名子の熱で燃え盛るようだ。


「さぁ、僕の炎となって。」


 玄人の声を聞きながら、楊は彼が望むもの全てが燃え尽きるように、炎となった自分を彼に差し出した。

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