燃やす練習をしましょう。
「それで、練習ね。時間が惜しいよ。」
僕達は相模原保健所の秘密の遺体安置室に来ており、魔物は口を尖らせてぶーぶーと不平を唱えている。
僕だってこんな所はすぐに出て行きたい気持ちで一杯なのだ。
一歩踏み入れれた安置所内には、もぞもぞしている見るも無残な細切れの死人達の破片ばかりで、臭いも酷く、煩い事この上ない。
「うるさい。」
とうとう我慢が出来なくなった。
僕は煩いのが嫌いなのだ。
僕の呟きと同時に膨らんで動く遺体袋から一斉に「ほう。」と息の抜ける音が響き、そしてそれらは完全に永遠に沈黙した。
その現象に髙と楊はそろって息を呑み、対照的に長谷は呑気にぱちぱちと手を叩いて喜んでいる。
思わず長谷をキッと睨んでしまったのは、僕が煩いのが嫌いだからだ。
勘に障っただけというのが真実だが。
静かになった安置所をぐるりと見回した髙は、状況の認識をすると、僕に常識的な疑問をぶつけてきた。
「生きている人から死人の内臓だけを燃やす練習なのに、ただの死体にしてしまったら意味が無いのではないの?」
「大丈夫。髙さん。かわちゃんが燃やす予定の内臓だけを燃やせるようになる練習だから。人体の感覚を知る練習です。それじゃあ、いい?下手に動くと気になって集中できないでしょう。かわちゃんは何も考えないで僕がイメージしたものだけを燃やして。まずはあの袋。あの袋の中の目玉を燃やしますよ。さぁ、かわちゃん、僕の手をつかんで。」
「いや。」
楊は僕から後ずさり、あまつさえ、嫌だ嫌だと首を振って駄々を捏ね始めたではないか!
「どうしたの?」
「ちびが怖い。山口が時々お前が怖いって泣く理由がわかったよ。怖い。」
「かわちゃん?言うこと聞かないと僕の最初の提案どおりの、十中八九優さんが死人化する方法を取りますよ!いいの?」
「その脅しって何だよ。彼女は俺じゃなくて、お、ま、え、の身内だろうが。」
「ハハハハ!」
僕は反射的に五月蝿い長谷を睨んでから、楊にずいっと手を突き出した。
「さぁ!」
僕がグインと伸ばした左手を、楊は初めて見せた嫌そうな顔で握り、右手で指差した袋に集中し始めた。
彼は僕の求めたイメージの共有などそっちのけ、でだ。
楊が左手を返すと、そこからヨタカの形をした火の鳥が飛び出し、そのまま一直線に袋に体当たりをして消えた。
ボン!
爆発したように燃え出した遺体袋に、慌てた髙が手近の小型の消火器を掴むと消火を始めている。
「あぁ、よっちゃんをあんなのにぶつけちゃったよ。可哀相に。」
「いつもよっちゃんの形をとる必要もないでしょう。」
「よっちゃんの形じゃなければよっちゃんじゃないじゃん。」
長谷は物凄く楽しそうに部屋の隅で丸まって笑い転げており、楊に脱力した僕はここで方法を変える事にした。
僕の左手を握り、青い顔で自分の惨状を眺めている男に止めを差す事に決めたのだ。
「この部屋を燃やして。思いっきり力を吐き出させた方が炎の制御の仕方を覚えるかもしれないから。かわちゃん、思いっきりやっちゃって。」
「え?」
楊は呆然と僕を見つめ、僕は彼ににんまりした。
「この部屋の死体を全て焼き尽くして。髙さんも僕も焼け死ぬことは無いですからね。あなたが僕の誘導を受け入れてくれるのなら大丈夫です。さぁ。」
楊は部屋をぐるっと見回して、そして、ごくりとつばを飲み、けれども彼が動いたのはそれだけだ。
否。
僕が掴む楊の手はどんどんと血の気を失っているのか、指先が硬く強張り、だんだんと冷たくなっていく。
「かわちゃん?」
「……できない。俺は出来ないよ。出来たらそれは俺じゃない。」
僕は楊の手を今までに無いくらいに握り締め、そして、僕の世界を呼び寄せた。
記憶を失い力を失っていた時は、オコジョになる前の小動物の霊を集めて保護するだけの保育室であったが、今は、もう一つのここではないここの世界。
全てが真実の、嘘が全く無い世界。
「ちび。お前は凄く綺麗なんだな。」
僕は掴んでいる男の変化には何も返さなかった。
良純和尚と同じくらいの長身で、彼よりもがっちりとしているがしなやかな体躯を持ち、厳ついが整った顔立ちの魅力的な男性。
その男性は僕を間抜面で見つめるだけだが。
「お前は女性の体の方が本当なのか。」
この世界でもそれしかない男なのか、と楊に呆れながら僕は自分の体を見下ろし、長谷の仕業だと確信した。
せっかくの嘘の無い世界を嘘で干渉してくるとは、あの魔人め。
これでは全てが嘘になる?
楊が相良誠司の姿を纏っている事に気がついても、彼が三條英明の記憶が甦っても、全部嘘だと思い込ませるためなのか?
本当になんてあの男は周到な子煩悩なんだ。




