こうやって必死に追いかけたかった
「みっちゃん。荷物を持って署に行って。私はかわさんを追いかける。私が戻るまで出発させないでね、頼んだよ。」
「何かあったら連絡して。いつでも襲えるからね。かまわないよ。」
「えぇ!私は絶対旅行に行くからね。絶対に足止め頼んだよ。」
「了解。」
二人は高校時代のように手を打ち合わせると、佐藤は振り返ることなく楊の走る方向、おそらく溝口の住む部屋の方へと全力疾走で駆けていった。
不真面目なソフトボール部の主将であった佐藤は、久々の全力疾走を懐かしく感じていた。
人数が足りないために試合もできず、練習も中途半端な愛好会に成り下がった部であるが、彼女は出来る限り走りこんでいたのである。
茶道の師範の母親に反発していた彼女は、綺麗で可愛い女の子ではないと髪を少年のようなショートにしただけでなく、汗臭い雑巾状態を毎日保つ努力もしていたのだ。
「結局お母さんに似ちゃった。振り向かれなくても気にしないふりばっかり。父さんが帰って来なくても気にしない振りをしていたお母さんそっくりじゃない。」
軽く呟いてきゅっと唇を閉じると、彼女は一層走るスピードを上げた。
本当はこうやってなりふりかまわず追いかけていたかったのだと、彼女は自分の未練がましさを捨て去る勢いでがむしゃらに走っていた。
しかし、その内に、幾ら彼女が駆けても楊の姿を見つけられない事に佐藤は驚いていた。
「かわさんの足が速いのは知っているけど、見つからないって何よ!」
不安になりながらも書類上で知っていた溝口の住むハイツへと向かったが、そこは水野が借りている部屋と違い築年数が浅くオートロック仕様の物件だった。
佐藤は実家からの通勤であるので、時々両親に嘘をついて水野の部屋に居候をしている。
「畜生。」
寝食を共にする親友の前でも使わない言葉で佐藤は毒づくと、軽く見回してから自転車置き場から目の前の壁をよじ登る事に決めた。
オートロックの敷地内に入る事はその気になれば割合と簡単な事が多いのだが、今回は登らねばならない壁が男性の背の高さほどあり、さらにその壁はツルっとしたタイル張りで足をかけることも出来ない仕様である。
しかしそこを登りきれば一階の外階段そのものに入り込めると踏んだ彼女は、梯子代わりに自転車置き場の自転車ラックに足をかけて壁の上部に手を届かせると、女だてらに懸垂力だけで体を上に持ち上げた。
「最近太ったかも。体が重い。」
壁の上部に辿り着き、そこで一息ついた彼女が呟きながら見回すと、そこから丁度見える天井の監視カメラがダミーではない事に気づいた。
「通報で不審者を追っていたを通しましょうか。」
佐藤はポケットから警察バッジを取り出すとカメラに軽く翳し、再び片すとすぐにぴょんっと壁から飛び降りた。
そして、そのまま最上階へと彼女は階段を駆け上がったのである。
溝口は書類によると五階の五〇六号室だ。佐藤は山口が溝口を誘う行動を訝しく思い、彼女を軽く調べていたのである。
フラフラしている軽い男の様に山口は振舞うが、彼は佐藤が認める髙の秘蔵っ子なのである。
彼が目を付けていたのならば、溝口には何かがあるかもしれないと佐藤は感じたのだ。
「あんなに調べて、それでも八重と不倫していたって気づかなかったなんてさ。私って無能。どうしたらみっちゃんみたいに情報通になれるのかしらね。」
五階に上がりきると、佐藤は部屋番号を確認しながら目指す部屋を求めて共有廊下を歩き続けた。
目当ての溝口の部屋は共有廊下の一番端の角部屋だ。
部屋の前で佐藤は周囲を見回してから、彼女はポケットに入っている持っているだけでお縄になる道具を取り出そうと手を突っ込んだ、が、同時にガチャリとドアが開き、目の前で開いたドアからにょきっと伸びた手に彼女は捕まれて室内に引き込まれたのだ。
彼女を両腕で抱えて捕まえている男は、彼女に初めて見せた暗い眼差しを彼女に向けている。
彼は佐藤を叱責したいつもりなのであろうが、彼が他の人には見せない顔を初めて向けてくれた事に、佐藤は自分を反省させたい彼には悪いと思いながらも、心の底から勝利感に似た高揚感だけが溢れていた。




