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君が謝ることなどないのに

 腹を掻っ捌かれた全裸の男の遺体に人の腸が巻き付いているばかりか、口に心臓を咥えさせられているその姿は、目撃した人間が自分の口も生の心臓を咥えているような錯覚を起こすほどの強烈さだっただろうと髙は述懐した。

 いや、被害者の切り取られた性器が、被害者の捌かれた腹の臓物の中にねじ込んであったことこそか。


 可哀想に、と、葉山と五月女に憐憫さえも湧いていた。


 さて、当初は被疑者にされた丸尾だが、手術室のドアが開かなくなったのが八時前と聞いた葉山によって濡れ衣は晴らされた。

 病院で惨劇が起きていたと思われる時間に丸尾が署内の朝礼に出ていた事は出勤している署員だったら知るところであり、雑貨店についての通報のある十三時近くまで、丸彦は相棒の八重と離婚の為のあれこれに動いていたのである。


「完璧なアリバイで尚更犯人っぽいけれどね。仲のいい同僚同士で遺体の隠し合いってね。木の葉を隠すには森の中って、残虐な殺害現場にそれっぽく投げ込んだら完了だ。一番楽な、刑事だけがみつけられる素敵な死体の隠し場所。」


「困ったなぁ。山口よりかわさんのほうが擦れて来ちゃった。残念ながら少し違います。ターゲットは八重の方のようですから、丸彦を守らなければね。」


「うそ!」


 驚く楊に髙は微笑んで返した。


「行方不明なんですよ、八重巡査が。被害者になったのか加害者であるのか判りませんか?それから、この死人達。どうしたものでしょうねぇ。今日は妙に騒ぎ立てている。」


 遺体袋の中で肉が蠢いているのか、袋の中で声なき声を上げているのか、安置所の中で袋から聞こえるぷちぷちモゾモゾという音が、小さな大合唱となって楊達を襲っているのである。


「可哀相に。死人ってこんな細切れになっても痛い痛いって生きているんだね。」


「あなたは彼らを死体に戻せませんか?」


 楊は残念そうに首を振った。


「妖怪になっていたひいじいちゃんはどうか知らないけれどね、俺は無理だよ。前世を思い出しただけの一般人で、その前世もただの一般人だったのだもの。普通の人の俺は、玄人から貰ったオコジョ様にお願いする事しかできないね。」


 オコジョ達は元々は飯綱使いの玄人の持ち物であった。

 彼ら三匹はいつも楊の腰のベルトに足をかけてぶら下がって喜んでおり、実体の無いものだから重くは無いが、見える人間には大変邪魔な存在だ。

 しかし楊は邪魔でも可愛いからと好きにさせていたのである。

 すると玄人が彼らに名前を与えれば良いと助言したのだ。

 名前を与えれば安心して楊の命令を聞き、楊の傍を離れるようになると。


「お爺様からもらった火の鳥もいるのでは?」


「燃やし尽くせって?髙は時々大胆だよね。無理でしょう。前に髙が言っていたじゃん。火葬途中で死人化した遺体が燃やし尽くしても痛がっていたって。灰にしたらしたで、吸った人間が死人化したのでしょう。無理。でも、まあ、俺にやれることは、あるか。」


 楊はコートを開いて腰にいる三匹のオコジョに呼びかけた。


「ちょっと八重を探してきて。」


 腰にぶら下がっていた三匹はにやりと一斉に楊に微笑むと、ひゅうっと楊のコートの裾を巻き上げて消え去った。

 彼らは名前をつけた後も、なぜか変わらず楊の腰にぶら下がって喜んでいるのである。


「あなたも人間離れしてきましたよ。」


「やめてよ。前世の恋人が婚約者の祖母で、婚約者が俺の孫だったって、きっついよ。死んだと思っていたヒイジジイが突然現れて、お前は俺の可愛がっていた猫の生まれ変わりだって慰められたけどね。猫だから他人の記憶が入ったに過ぎないのだから気にするなって。髙はどっちがキツイよ。俺は猫だったら葉子の恋人の雅敏だった方がマシだって思っちゃったからね。誰が前世がロシアンブルーだと言われて喜ぶかって。」


 ブフっと髙が噴出して笑い出し、楊はその相棒の姿を見ながら微笑んだ。

 その笑顔は楊の以前の笑顔ではなく、疲れきった老人の表情である。

 髙はその表情を目にした途端に笑いを収め、自身もやるせない気持ちに陥ったのだ。


 楊は被疑者が「痛い」と叫ぶと、拘束の手を緩めてしまう男であった。

 楊は本部で要人警護の職務についていたが、その性質のために要人と自分自身を危機に陥れ、同僚達に蔑まされて相模原東署に流れるしかなかったのである。


 けれども髙は楊のような馬鹿が警察組織に一人でもいて欲しいと願い、そして、痛みを感じても人間のように「痛い」と叫ばない死人を捕らえる仕事に楊を引き込んだのだ。


 それでの今の楊である。

 髙は自分が楊を壊しているそのものではないのかと、後悔の念が尽きないのである。


「髙は気にしすぎだよ。俺は大丈夫だよ。」


 楊の声に髙ははっと楊を見返した。

 その声は楊の声でない。

 髙の目の前には、百目鬼と同じくらい長身で、細身だが体つきがしっかりしている厳つい顔をした美青年が立っていた。


 彫の深い目元は疲れきっているのにかかわらず、それでも彼は誰にでも微笑む。

 大丈夫だと。

 その為に見逃した。


 微笑む彼は腹を二箇所も切り裂かれており、そこから溢れ出した真っ赤な血潮で全身を染め上げていた。

 彼はそんな目に遭いながらも、そんな目に遭わせた髙に許しを乞うた。


「ごめん。ごめんなさい。俺はあんたを殺すつもりは。」


 殺意を持ってナイフを振るった男に対して、生存本能による反射的な行動の抵抗をしたにすぎない青年が、殺人者の体を案じて涙を流して謝っているのである。

 助からないどころか、内臓を切り裂かれた彼の痛みも苦しみも、髙が止めを刺せなかったばかりに長く続く地獄をこれから味わうだろうというのに。


「良いんですよ。この俺が、腹しか切り裂けなかったとはね。最高の教え子だ。」


 自分の首から溢れ出した血の濁流を抑えていた手を外し、彼は自分の終焉を受け入れた。


「おい!ちょっと髙!」


 楊が叫ぶ声の中、髙は自分が生まれて初めて気を失ったのだとぼんやりと考えていた。

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