哀れな刑事
相模原保健所には解剖用の手術室も完備しており、腐敗の進み過ぎた遺体はここに運ばれて県の監察医がここで解剖を行う。
建前は。
大学の法医学教室に運ぶよりも、一般人から隠したい遺体というものを持ち込む場所として最適なのである。
死んでいるのに死んでいない死体の場合は、通報されて此方に運ばれるのが常となっている。
通報されて動くのは公安だ。
公安の人間が死人の取扱を熟知しているのは、不可解で残虐な事件の捜査途中でそれが死人絡みであったと発覚する事が何度かあった為である。
また、人知れず動ける公安だからこそ死人専門に動いてもおり、楊の新設の課を作るにあたり署長と密談を重ねていたのは元公安の髙であった。
楊と髙はそのために保健所に来ているのだ。
しかしながら彼らが本日向かうそこは、解剖室ではなく地下の遺体安置所の方である。
楊は髙が署員の許しも得ないで勝手にマスターキーで解錠して次々と進む様に、楊が髙に連れられて初めて足を踏み入れたこの地下室の事は、保健所の職員も知らないのではないのかと髙の後姿を追いながらぼんやりと考えていた。
人気の無い暗い廊下に響くのは、彼らの足音と、髙が押す台車の音だけだ。
「俺が台車を押そうか?」
「両手に鞄を提げたら、僕がドアの鍵を開けるのに邪魔じゃない。」
「いや、それも受け持とうかな……ごめん。黙る。」
置いてきぼりにされたら怖いから髙には逆らわない事にしようと、毎回新たな秘密の場所に連れ込まれる度に、楊が心の奥底でこっそりと誓っているのも髙には内緒である。
部屋は大きなスチール製の扉で、重い扉でありながらスムーズに開いて、中の陰鬱な室内を露にした。
ここには、地下の死人専用の収容所に片付けられない死人を収納するのだと、楊は本日初めて髙に教わったのである。
部屋を低温にして死人の腐敗を防ぎ、冬眠の様な状態を保つ事は、動き続ける限り痛みを失わない死人へのせめてもの優しさであろうか。
冷蔵庫並みに寒い部屋に足を踏み入れると、楊は手に提げていた二つの遺体袋を手近な台に乗せた。
血が抜けた死体はとても軽くなるものだと、楊はそれでも死ねことのできない彼らに哀れみをもって見つめた。
「やんなっちゃうね。丸彦君が生きていたのは嬉しいけどさ、彼の奥さんまで惨殺でしょう。死体は細切ればかりだし、一体どうなっているの。」
「これがあるからザクロが取扱禁止になったのですよ。死人同士殺しあうだけならかまいませんが、少しでも関わった人間まで同時の処刑されますからね。それも見せしめの様な残虐さで。彼らも怖いのですよ。誰かの使い魔になっている仲間が隣にいるかもしれない、という状況がね。」
楊と髙の前に八つの遺体袋が台の上と床の上に置いてあり、それらがかすかにだが蠢いていた。
部屋中に置いてある遺体袋には、それぞれに細切れされた死人が納まっているのだろうと、楊はぼんやりと考えた。
「適当に置く人もいて困りますよ。」
髙は台車を奥に持って行き、几帳面に遺体袋が並べられているそこに、事務的に次々と台車の上の遺体袋を並べて置きだしている。
楊も自分が持って来た袋をもう一度つかむと彼の所に向かい、髙と一緒に遺体袋を並べだした。
「増える一方で。秘密にしているのにどうして増える一方なのか。此方が気づかない間に一般人まで巻き込まれて惨殺だ。」
「そんな危険なものだからこそ、ザクロの事を皆には教えるべきじゃないの?」
「だからこそ、ですよ。情報を知っていると知られれば襲撃の的になり得ます。」
楊は眉毛が一本に見えるような表情をつくり、ゆっくりと髙を見返した。
「俺にどうして教えたの。」
「教えたのはかわさんの曽祖父でしょう。」
「そうだった。ちくしょう!」
死体安置所で地団太を踏む相棒に微笑むと、髙は上階の通常の解剖台に乗っている女性の遺体の事を考えた。
内臓を抜き取られた状態のただの死体であった彼女こそが、丸彦の妻利枝子であったのだ。
楊が雑貨店で言って見せたように、死亡推定時刻は八時間前、病院に出勤した彼女は七時半の引継ぎの後すぐに殺されたのだろうと髙は考えた。
夫である丸尾が署に出勤し、こちらも引継ぎ朝礼をしている時間である。
「髙、俺はしばらく肉料理が出来そうもない。」
「葉山達から現場写真を貰ったのですか?」
「ええ!いや、雑貨屋での話でって、うそ!葉山達はもっとすごいのを見ちゃったの!うわあ、俺はそれを報告されて読むのね!読まされるのね!」
楊はうわあと叫び、両手で顔を覆った。
既に情報が回って来て知っている髙は、確かにその書類は写真付きで読みたくないと考えた。
聞いただけでも凄惨すぎる現場であったからである。
葉山と五月女が利枝子を保護しに向かった病院、そこでは手術室のドアが開かなくなったと騒いでいる状態だった。
葉山達は消防の手を借りて手術室のドアをこじ開けさせ、その内部にあったものをまざまざと見せつけられたのである。
まずは全裸の男性遺体。
遺体の周囲には人の内臓を思われるものが散乱していた。
正しくは、利枝子の内臓と思われるものが、殺害された医師、外科医の森譲の全身に巻かれていたのである。
森は利枝子と違い、鳩尾から下だけが掻っ捌かれて、自らの内臓をさらけ出していた。