楊の特対課とは
葉山友紀とは、悲嘆のキャリアの異名を持つ二十九歳の若き警部補だ。
本部で上司に濡れ衣を被せられて、相模原東署に島流しされた男である。
四角い輪郭に整った目鼻立ちと細身の体を持つ彼は涼やかで、年が近い丸彦が羨ましいと思う外見をしている。
そして、五月女尚稀。
巡査部長の若き彼は、本部の麻薬課で有望視されていた男であった。
彼が島流れ所にいるのは彼がミスをしたせいではなく、志願したからだと聞いている。
坊主に近い髪型に純朴そうな顔立ちは、純文学の主人公のようだと女性職員達に持て囃されている事を彼は知らないだろう。
そこまで丸彦は考えて自嘲した。
自分には絶対に入れない課であると。
楊の特対課は美男美女しか入れない課であると、刑事課の冗談の種になっているのである。
けれども、楊の受け持つ事件は陰惨な現場が多いと聞く。
美しい人達は妬まれて汚い仕事しか回されないと、彼らに回された仕事を聞いて嘲笑する者までいる程なのだ。
そんな事件ばかりの彼らが嘔吐する現場とは?と、丸尾は早朝の菓子盆に乗った内臓を思い出して怖気が走った。
けれど、楊に中に絶対に入るなと命令された事も思い出し、店外から覗いただけでは暗いだけの店内で、いかほどの凄惨な現場が広がっていたのだろうかと刑事として興味も湧いてきたのである。
けれどすぐさま自分の身の上に気が付いて、丸尾は事件に興味を抱いた事に落ち込んだ。
無能な刑事でしかない自分が何を考えているのかと、おとなしくしていろとまで、八重の声で自分を諫めてきたのである。
その丸尾の内なる声は、結婚生活で疲れた丸尾の頭が現実逃避の為に作り上げたものなのか、馬鹿な事を考える度に丸尾を諫め慰めるという親友の八重そのもののようで、最近特に判断力が落ちていると感じる丸尾にとっては正しい判断を仰ぐための拠り所ともなっている。
丸尾は刑事課の刑事であるといっても、毎日の仕事はゲームセンターや道端の自販機荒らしや放火まで行かないボヤなど、犯人が決して見つからないような軽犯罪の捜査ばかりだ。
時々に殺人事件や強盗事件などの人員に組み込まれても、彼が担当させられるのは犯罪被害者の聴取だけで事件そのものには関わらせてももらえない。
そんな無能な自分の意識散漫を知られて刑事を降格されたらと、丸彦はとても不安を抱いているのだ。
そんな丸尾が内なる声に頼るようになったのは、仕方が無い事と言える。
「ねえ、どうしたのさ。いいから引継ぎ!あたし早く引継ぎしたい。ゲロしながらでいいから出てきて。」
水野は五月女か葉山かどちらか知らないが、どちらかがいる個室前でぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。
「そうよ。ゲロくらい、私にかけなければ平気。零したら自分で片付ければいいでしょう。さぁ、早く出てよ。」
ガン!
五月女入りか葉山入りか知らないが、佐藤が水野とは違う左側の扉を蹴った。
丸彦は美女達がただの獣でしかない事に気がつくと、別れた妻は美しかったから性格が悪かったのだと至極納得し、彼女達のお陰で癒され始めている自分がいる事に気がついた。
「ホラ、早く!報告!ほーうーこーく!」
「水をかけますよ!」
「自分が!俺が彼らから話を聞いてあなた方の仕事も引き継ぎますから、どうぞ、彼らにご勘弁を!」
丸彦は耐えられなくなったのである。
美女達に責められる可哀相な男性の姿が、そのまま妻に罵られる自分自身にしか見えないのだ。
美女二人は顔を見合いあい、それから物凄く悪そうな笑顔を丸彦に向けた。
「あたしらこれから予定通り早帰りするから、こいつらの介抱と引継ぎ頼むね。」
水野のフランクすぎる言葉に了解の相槌を打つと、佐藤は生贄を買って出た丸彦には福音となる言葉を与えた。
「私達は一度家に戻りますけど、待ち合わせにまた来ます。私達を迎えに来た百目鬼さん達を絶対に帰しちゃ駄目ですよ。」
百目鬼と聞いて、丸彦は百目鬼の傍に必ずいる玄人の姿を思い出していた。
玄人は相模原東署のすぐそばで、狂気に陥った男に切り刻まれて殺されかけ、殺されかけたがために女性の姿になってしまった可哀想な半陰陽の少年だ。
彼の事を思い出して、丸彦はどちらかの個室にいる五月女への親近感が沸くのを感じていた。
五月女は玄人の美しさに目が眩んでこの署に流れてきたのだと噂されているのである。
丸彦でさえ、山口に連れられて東署に現れた玄人の姿を目にした事で、あらゆるもの全ての価値観が崩壊してしまったのだ。
即ち、彼は玄人に魂を奪われ、その時から彼に恋焦がれて愛し続けているのである。
完璧な卵形の輪郭の顔の中で爛々と輝く黒曜石の瞳。
その類まれなる美しさを持ちながらも、彼は謙虚で弱々しくあどけない。
無骨な自分が触れば砂糖菓子のように崩れて壊れてしまうだろう幻影の生き物。
ここで完全に丸彦の闇が晴れた。
結婚式後に妻の友人という女性達に妻の不倫話を知らされようが丸彦が彼女との結婚を続けていたのは、途中からは彼が自分自身を異性愛者だと騙す為だけであったのだ、と。
妻が彼に辛辣に当たったのは、彼が彼女に最初から一滴の愛情も持っていない事に気づいていただろうに違いないだろう、と。
この機会を逃せば不細工な自分が一生結婚できないであろうと、彼は打算から利枝子からの結婚の申し出を受けただけなのである。
「…………家ぐらい、慰謝料で取られても仕方がないかな。」