美女が野獣?
「和ちゃんは聞いたら怒るよね。俺は彼女の不倫を結婚式後に知っていたんだよね。初めて俺を好きになってくれた女性に小馬鹿にされていただけって、辛いからさ、何も見えていないふりをしていたんだよね。」
丸彦は有名なテーマパークの黄色い熊に似ているとからかわれるが、その言葉通りずんぐりむっくりな不細工な大男だと自分を承知している。
一方で幼馴染の八重は彼同様に大柄であるが、彫の深い顔立ちをした頼りがいのあるいい男だ。
一緒に昇進試験を受けて二人とも最終面接まで進んだのだが、丸彦は落ち、八重は今期末に巡査部長への昇進が決まっている。
「出世って、見た目も関係しているのかなぁ。」
もう少し自分がまともな顔立ちであれば自分の世界が変わっていたのだろうかと、丸彦は情けない気持ちで自分の手を見下ろした。
手には人生の敗残者の証拠品の顔をして離婚の受理証明書が乗っており、その紙が彼をあざ笑っているようだと思わずグシャっと丸めた。
だがそのまま彼はそのぐしゃぐしゃの紙を丁寧に開きなおし、自分の目頭に当てて天井を見上げるようにして泣き始めた。
最初はしくしくと。
次第に二年間の恨みや苦しさを伴った激しい感情を呼び出して、徐々に激しい涙の潮流となり、ついに彼は叫び声までもあげかけた。
未遂だったのは、走りこんできた騒々しい靴音に続いて、両脇の個室ドアの開閉音が二回大きく鳴り響き、間髪あけずに嘔吐の大合唱が始まったからである。
丸彦はこの状況に驚き、警察署内で大きな食中毒か何かが起きたのかと慌てて個室の外に出た。
彼の行動と、二人の美女が男子トイレに突入してきたのは同時である。
「そうちゃーん。はやまー!大丈夫かー!」
「ちょっと、二人とも戻ってくるなりどうしたの!」
丸彦は男子トイレに入って来た美女二人、ふわふわの髪の毛をした癒し系と有名な水野巡査と、ほんの少しのつり目がクールビューティだと憧れられている佐藤巡査、に目を丸くするしかなかった。
ここは男子トイレですよ、とそれでも彼は言おうとしたが、佐藤が丸彦を目にしてつり目をさらに吊り上げた。
「あなたはここで何しているの?」
丸彦は呆然とした。
自分は同じ署の彼女達に認識もされていなかった?
「えぇ?自分は刑事課の丸彦巡査ですが。朝、通報現場から楊さんに連絡を入れた丸彦ですが。」
「え、うそ!あなたが丸彦さん?どうして!」
水野が飛び上がるほどに驚いている顔を丸彦に向け、丸彦は本気で警察を辞めようかとまで考え始めた。
職場でさえ自分がいらない人間だったとこれ以上思い知りたくない。
「連絡を入れてすぐに署に戻れと無線連絡を受けたので戻りましたが、何か?」
「何か、じゃないわよ。私達あなたが行方不明だって大騒ぎしていたのですから。達ちゃんがその丸彦だったなら、さっさと言ってよ。」
妖精のような美女に叱られながら、丸彦は釈然としないものを抱えていた。
「東署の丸彦姓は自分一人のはずだけど?」
「あんたは達ちゃんでしょうが。もう、早く言ってよ。盲腸は大丈夫なの?この間はインフルだって、弱過ぎじゃない?ちゃんと食べているの?ちょっと、待って。チョコバーがある。ほい、あげる。」
水野に渡されたチョコバーは、風味が落ちていそうなヨレヨレの包装だった。
そんな手の中のチョコを眺めながら、丸彦は彼女達に丸彦と認識されてないだけだと知りホッとはしたが、美しく可憐な二人がこんなアバウトな人間だった事には幾ばくかのショックを受けていた。
彼女達は男性職員の憧れの的でもある。
「うげぇ。」
「おうっ。」
呆然としている丸彦とは対照的に、トイレの個室の凄まじい大音響での嘔吐に丸尾ははっと現実に引き戻された。
そして、佐藤と水野が呼びかけていた通りであるならば、個室に篭っている二人が耐えられない現場とはどんなものであったのかと、丸彦の背筋が凍り付いたのである。