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朝からついていない男

 丸彦は我が身の不幸を嘆いていた。


 まずは早朝に起きた妻との離婚話。


 離婚話を切り出した妻は、いつ帰ってくるか判らない夫と暮らす自分こそ被害者だと丸彦を罵り、被害者だから丸尾の貯金全てと家を慰謝料で貰うと言い放ったのである。

 彼は罵られての一瞬どころか、結婚してからの二年間の結婚生活を、今も細かく思い出していた。


 手術室付の看護師であり、その上主任にもなった妻は、神奈川県警内で島流れ所と通り名を持つのんびりとした相模原東署の刑事よりも、ハードワーカーだったはずだ。

 彼が掃除洗濯をし、時間があれば料理もし、彼女がインフルエンザに掛かった時は、徹夜の仕事帰りだろうが看病だってしていたのだ。


 一方彼女は三月前にインフルエンザにかかった丸彦を看病するどころか、彼を自宅内で隔離した。

 違う、隔離したのは半年前の盲腸だ。

 ノロだと騒がれ彼は隔離され放っておかれ、心配した同僚に病院に運ばれて一命を取り留めたのだと思い出した。


 丸彦の母は、当たり前だが病院で妻を詰った。


「利枝子さん。ごりっっぱなお仕事を休まないのは大事ですけれどね、専門のあなたが病気を見誤るのなんてあってはならないことではないのですか?」


「問診で患者に嘘をつかれれば判断のしようがないじゃないですか。達生さんはコミュニケーション不全なのではございません?大人なのですから、自分の体の症状ぐらいちゃんと説明して欲しいですね。」


 丸彦の母は簡単に言い任され、言い負かされた悔しさをベッドの中の丸彦を散々に罵って晴らした。


「この!大間抜け!コミュニケーション不全って、どういう事よ!あんな、あんな嫌な子をお嫁に選ぶから!この!ばか!おおばか!それで死んでどうするつもりよ!」


「俺は、コミュニケーションふぜんだったのかぁ。」


 丸彦はその時の母の泣き顔を思い出しながら、その時と同じ情けないぼやきを上げ、自分の頬を伝う涙がある事に気がついた。


「俺は、辛かったのかな。盲腸の時も、三か月前の時も、辛いって感じはしなかったのに、涙が出ているよ。」


 三か月前に丸彦がインフルエンザを患った時、丸彦の身を案じるどころか妻は荷物を纏めて部屋を出て行った。


「私は人の命を扱う現場にいるのですからね。染ったら困るでしょう。治るまで病院近くのビジネスホテルに泊まりますから。」


 結果、高熱で動けない丸彦は、たった一日半で脱水症状で死にかけた。

 この時も見舞いに来てくれた同僚によって、丸彦は助けられたのである。


 相棒で幼馴染の八重やえ和真かずまは、丸彦を看病しながら怒りに顔を真っ赤に染め、丸彦の入院中に利枝子の行動を調べ上げた。


「お前との結婚は、不倫隠しのためだったぞ。」


 丸彦の妻の利枝子が結婚前から勤務先の外科医と不倫していた事を、八重は突き止め丸彦に突きつけたのである。

 八重の調査によると、丸彦と結婚する時期には利枝子は医者の妻に病院に乗り込まれて浮気を責められており、周知の事実ともなっていたのだ。

 しかし恐るべきことだが、利枝子はその行為に対して「言い掛かりの名誉棄損」として、医師の妻に対して簡易裁判を起こしてもいたのだ。

 それも審理は一回きりの、名誉毀損に対する慰謝料請求の小額訴訟である。


 利枝子を小馬鹿にしたのか外科医の妻は出廷せず、利枝子は勝訴と五十万円を手に入れた。

 それで、その外科医の妻は利枝子に何も言えなくなったのだと同僚が語ったと、八重が呆れ半分で教えてくれたのである。


「別れなよ。達ちゃんがさぁ、まだ好きでもね。あれは相当なタマだよ。」


 そうして朝の喧嘩話だ。

 話し合おうとした途端に彼は妻に離婚を切り出された上に、生活態度を一方的に罵られ、鞄に着替えを詰め込まれて家から追い出されたのである。

 その家は丸彦が祖父から譲られたマンションの一室であったはずなのに、だ。


「今夜からどうしようかなぁ。和ちゃんも所帯持ちだからさ、居候できないよねぇ。実家に帰ったら母さんが面倒で情けないし。」


 彼はポケットの離婚の受理証明書を取り出してぼんやりと眺めた。

 八重は丸彦の早朝の顛末を聞くやすぐさま彼を役場に連れて行き、有無を言わせずに離婚届を提出して離婚を成立させたのである。


「大丈夫だって。あの家は達ちゃんの結婚前からの、それも遺産相続という財産なんだからさ、奥さんは絶対奪えないものなの。これからゆっくり追い出せばいいから。ああいう女とはね、別れられる時に別れておかないと大変なんだって。あぁ、そうだ。婚姻不受理届けも出さなきゃ。女は半年再婚できないけどね、夫婦だった相手とはいつでも再婚できるでしょう。」


 丸彦は役場で彼の代わりに次々と手続きをしてくれる幼馴染の背中に感謝しながら、鬱陶しさも感じている自分がいるのに気がついていた。


「最低だよね。もう、俺は死んじゃいたいからさ。結婚したままでも良かったかな。葬式ぐらいは出してくれるでしょう。」


 丸彦は二年で疲れきっていた自分にも気がついたのだ。

 盲腸の時も、インフルエンザの時も、彼はそのまま死ぬつもりで何もしないで、布団の中で胎児のように丸まっていたのである。

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