俺は情けない男
楊は左腕に殆んどぶら下がるように絡まっている水野の頭を見下ろし、彼女は限界なだけなのだと溜息をついた。
「丸彦君の身柄は心配なのは佐藤達も一緒だよ。そして、俺達は彼が絶望的だと言うことも知っている。二泊三日ぐらい送り出して外から状況を見てもらった方がよくないか。」
「かわさん。外からって?」
楊のセリフに瞳に生気を取り戻し始めた水野が、ぐいっと楊の腕を一層自分の方へと引き寄せた。
水野が動いたことで、楊の腕にしっかりと、だがほわんぷよんという感触を持って、水野のものが押し付けられた。
この行為は勘違いした男に肉体的行為の強要を迫られる可能性があるものだよ、そう考えながら楊は水野を見返し、彼女が楊がそんなことを絶対にしないと思っているからこそなのだと気が付いて溜息を吐いた。
佐藤も水野も自分の腕にしか絡んでこないのは、そういうことなのだ、と。
また、この二人に自分がしがみ付かれても嫌悪が湧かないのは、この二人が自分にそういった部分を求めていないと知っているからだと楊は自分に認めた。
自分は精神的にインポテンツなんだよな、と情けなく思いながら。
「君達はさぁ、俺を上司どころか男扱いもしていないよね。まぁいい。この雑貨屋の登記がどこだったか、佐藤だったら書類を読んでいるでしょう。」
「あ。足柄下郡。そうですね、箱根から此方に二年前に移転した店でしたね。わかりました。旅先であちらに店を出していた頃の評判などを調べてきます。」
ぎゅうと自分の右腕にしがみ付く佐藤を楊は見下ろして、彼女も水野同様にふらついていたのだと理解した。
ここで苦しまなければ人間ではないはずだ。
足元が揺るがない自分の爪先を軽く見直し、そして相棒に顔を上げた。
彼は相棒に怒りを燻らせた顔を見せているだけだ。
ポーカーフェイスが得意な男の、これ見よがしな怒気を孕んだ表情。
「いいだろ。髙。この事件は本当の事をいうと、葉山にも五月女にも触らせたくない。」
「山口はいいのですか?」
「山口は髙の子でしょう。どうする?」
髙はふぅっと嫌味たらしく息を吐くと、「わかりました。」と答えた。
「いいですよ。できる限り二人でやりましょう。昔のようにね。」
「ありがとう。髙。俺はさ、いくら死人でも蓑虫のようにピアノ線で天井に吊るって、人間としてどうかなって思うからね。」
あと一人、楊達が処理しきれなかった蓑虫状態の死人がびくびくと蠢いているはずだと、楊が天井を見上げたそこで、蠢いていた蓑虫は空中で破裂した。
ぐぶわしゃ。
ぼと、ぼとと。
食い込んだピアノ線によって解体されたそれは、内臓も何もぐちゃぐちゃな状態で床へと落下してきたのである。
瞬間的に楊は脇を閉めて後ろに下がり、両腕にぶら下る部下をも後ろへと一歩引きずり、飛び散った肉塊や体液の洗礼を受けることを避けた。
生首はボールのように転がり、同じようにして先に落ちていた仲間達の生首があった所とは反対の方へ転がっていく。
楊の左腕はぐいんと引っ張られ、水野が限界であることを知った。
彼女は暴力的なことはいくらでも平気だが、スプラッタは苦手なのである。
「ほら、俺達の会話は聞いただろ?いいから署に戻って。あ、やっぱり待って。クロのモルモットと俺の鳥は確実に面倒見ろってね、あいつらに伝えて。頼むよ。」
右腕の佐藤がクスクス笑いを始めたが、楊の右腕はぐんと引っ張られたままである。
「髙、こいつら外に出すから。ほら、大丈夫か?外に出るよ。」
美女二人を両腕にぶら下げて、陰惨な現場から立ち去る楊に髙は呆れたように笑いかけ、すぐさま表情を硬くすると現場を見直し始めた。
後ろでドアを開け閉めする音がカランと鳴る。数秒しないで再び楊が、今度は身軽になった足音で髙の方へと歩いて来たようだ。
「頑張り屋の扱いは難しいねぇ。駄目というと頑張るからって、一々芝居をしなければってね。素直に旅行に行ってくれた方が有難いなんて、口が裂けても言えない。さすが課長ですねぇ。」
「五月蝿いよ。俺は髙が本気で怒っているって思い込んでの頑張りだからね。どうして彼らに情報がいったのか後で調べるのは嫌だね。まるでスパイ探しをしているようでさ。」
楊を見返した眼光鋭い男は、口をほんの少し歪めて笑い返した。
「かわさんは勘がいいから嬉しいですよ。最近の山口はほーんと鈍い子で、困ったもんだよ。ちゃんと五月女と葉山は撒いたのだろうね。」
倉庫側の勝手口が開き、そこから山口が顔を出して長身の体をするっと倉庫内に潜り込ませた。
それから自分の昔の教官の罵りに、上目遣いに睨んで抗議した。